更新日 2013.7.24
早速、『日本天文史料』で調べてみたところ、日食の項の、宝亀6年10月1日辛酉(775年10月29日)の条に、わずかに
〔続日本紀〕三十三 冬十月辛酉朔、日有食之、
〔日本紀略〕前十二 冬十月辛酉朔、日有食、
という記事があるだけです。
やはり日本には、西暦775年に他の天文記事はないのでしょうか。一般の『日本天文史料綜覧』と『日本天文史料』を見る限りではそのようです。しかし、私のところには、もう一つ特別な『日本天文史料綜覧』と『日本天文史料』があるのです。
神田先生を助けて、天文記録の蒐集と整理を行った広瀬先生は、昭和56年(1981)10月27日に肺炎のため亡くなりました。享年73歳でした。それから二十数年後の平成17年(2005)、広瀬先生の膨大な蔵書が遺族によって処分されました。担当したのは、文京区本郷の赤門前で古書店を営む第一書房です。
それを知った国立天文台からは、中村士先生があわてて駆けつけ、天文台の図書館にある本と重なるものを省き、天文台が引き取りました。ただし、代金は予算化されていたわけではないので、2ヶ年に分けて支払うことにしました。
その、第一書房の主人から、残ったものの中に『日本天文史料綜覧』と『日本天文史料』があるがどうか、という連絡をもらったので出かけて行きました。見ると、神田先生から広瀬先生に贈られた献呈本で、それらが出版されたとき、神田先生が所感を述べた「告」という折込みの印刷物や、「日本天文史料綜覧追補」、『日本天文史料綜覧』と『日本天文史料』の内容見本を付けた折込みチラシ、神田先生の著書『年代対照便覧・竝陰陽暦対照表』のチラシなども挟んであります。もちろん、どちらの本にも「H, Hirose」のサインが入っています。
↑(写真)広瀬先生のサイン
しかし、何と言っても素晴らしいのは、広瀬先生が各項目を一つ一つチェックし、赤ペンでびっしりと加筆訂正されていることです。間違っているところは二重線で消して正しく書き換え、新しく分かったことを追加し、必要にによっては別紙に詳しく書いて挟んであります。二つ返事で譲っていただきました。
↑(写真)広瀬先生の書込み
この広瀬先生の手沢本『日本天文史料綜覧』の、宝亀6年(西暦775年)のところに
六、五、丙午、白虹 続日本紀 三十三
と赤ペンで書き込みがあります。
つまり、続日本紀の三十三段の、宝亀6年5月丙午の条に、白虹が現れたとの記録があるという書き込みです。
↑(写真)宝亀6年(西暦775年)の書込み
諸橋轍次著の『大漢和辞典』によれば、白虹は〔ハクコウ〕と読み、〔白色のにじ〕とあります。夜に現れる白虹は、オーロラのようなものではないでしょうか。このように、日本にも775年の天文現象についての記述があったのです。
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