更新日 2013.7.31
日本古代の記録には、歴代天皇の元号をつけた日本の太陰暦による年月日がつけられています。しかも、月名や日付が干支で表されていることが多く、それをちゃんとした数値に変換するのは、とてもわずらわしいものです。
ところで、古代の天文現象などの計算を行うときは、ユリウス通日(J.D.)が必要です。それを調べるのに、私は、昭和7年に古今書院から刊行された、神田茂先生が編纂した『年代対照便覧・竝陰陽対照表』を使っています。実は、これもかつて能田忠亮先生が使っていたものなのです。
↑(写真)神田茂編『年代対照便覧・竝陰陽』
「宝亀六年五月丙午」とは、一体何日なのでしょうか。『年代対照便覧』に、「日の干支指数はJ.D. を60で割った剰余から10を減じたものに等しくなる。」とあります。丙午(ひのえうま)の干支指数は、43と分かっているので、今回はそれを手掛かりに、逆にJ.D.を求めることにします。
『年代対照便覧』によれば、日本の太陰暦による宝亀6年5月0日のユリウス暦通日(J.D.)は、
J.D. = 2004279
ですから、
2004279 ÷ 60 = 33404 余り 39
となります。
丙午の干支指数は43ですから、余りは43 + 10 = 53でなければなりません。つまり、
53 - 39 = 14
だけ足りないことが分かります。従って求めるJ.D.は、
J.D. = 2004279 + 14 = 2004293
となります。
然るに、「宝亀六年五月丙午」というのは、日本の太陰暦の宝亀6年5月14日(ユリウス暦)ということになります。
それでは、西暦ではどうなのでしょうか。
『年代対照便覧』によれば、西暦775年1月0日(ユリウス暦)のJ.D.は、
J.D. = 2004126
ですから、宝亀6年5月14日までの日数⊿は、
⊿ = 2004293 -2004126 = 167
また、『日本天文史料綜覧』では、1582年9月まではユリウス暦で表すことになっているので、
1月・・・31日 31日
2月・・・28日 59日
3月・・・31日 90日
4月・・・30日 120日
5月・・・31日 151日
6月・・・16日 167日
となり、求める年月日は、
西暦775年6月16日(ユリウス暦)
です。
アングロサクソン年代記の西暦774年の項にある、「天に赤い十字架が現れた」というのは、その後SNR’s(Supernova Remnants = 超新星残骸)が見つかっていないので超新星ではなさそうです。しかし、西暦775年前後に、太陽活動が異常に活発になり、地上に大量の宇宙線が降り注ぎ、日本のような低緯度でもオーロラが見られた時期があったようです。
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