連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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世界一小さな天体望遠鏡 1/7
~五藤光学のポケット天体望遠鏡~

更新日 2013.8.7

1.世界一小さな天体望遠鏡

五藤齊三氏が、日本光学工業株式会社を退職し株式会社五藤光学研究所を設立したのは、大正15年(昭和元年)9月1日のことです。そして、『科学画報』に「素人天文台用天体望遠鏡完成」のタイトルで天体望遠鏡の広告が掲載されたのは、大正15年11月号です。広告を掲載するとき、原稿は普通1ヶ月前に入稿します。この時は、科学画報代理部という自分のところの広告ですから、もっと短かったかも知れません。

(写真)『科学画報』大正15年11月号

↑(写真)『科学画報』大正15年11月号

五藤齊三氏は、天体望遠鏡の製造に先立って全国の師範学校長、教育委員会長、著名な理科の教師、天文関係者などに、天体望遠鏡がいくらだったら学校で購入できるか、アンケート調査を行いました。その結果を基に、定価30~40円で販売できる天体望遠鏡を設計し、鏡径30mm、有効径25mm、焦点距離800mmのシングルレンズの対物レンズの研磨を日本光学に依頼します。

(写真)日本光学工業株式会社芝工場

↑(写真)日本光学工業株式会社芝工場

また、望遠鏡の架台と三脚の鉄棒は、日本光学の下請けだった土浦鉄工所に作ってもらいました。そして、2~3人の従業員を雇い、自宅の8畳と6畳の部屋の襖を取り払って、家内一同車座になって望遠鏡の組立を行いました。こうして出来たのが、後に「1インチ望遠鏡」と呼ばれるようになる天体望遠鏡です。その間、わずか1~2ヶ月で、従って、実際に販売されたのは、大正15年の暮れか、昭和2年になってからではないかと推測されます。
この1インチ望遠鏡は、科学画報代理部が販売を一手に引き受けてくれたので、月に200台、300台と売上を伸ばして行きました。しかし、五藤齊三氏は、いつまでもシングルレンズの望遠鏡でいいとは思っていませんでした。すぐに、色消レンズの望遠鏡を作ります。それが、鏡径58mmの「ウラノス号」です。その頃、『科学画報』に妙な望遠鏡の広告が掲載されました。

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