更新日 2013.9.25
このような状態では、いくら乙号の半額の価格でも観測上問題ではないかと思っていたところ、『科学画報』の昭和4年7月号に、つぎのような広告が現れました。
↑(写真)『科学画報』昭和 4年 7月号の広告
「新普及型天体望遠鏡」の見出しで、「本望遠鏡は対物レンズは直径28mm、焦点距離800mmを使用したもので、視野きわめて明快です」とあります。挿絵の写真を見ると、架台はとてもシンプルで、三脚は木製の二段伸縮になっています。
先の「野外用」に倣って整理すると、
【普及型】
対物レンズ :鏡径28mm、有効径25mm、f=800mm
対物レンズ枠:金属製で黒のエナメル塗装
鏡 筒:トタン製で白のエナメル塗装
鏡筒の取付け:筒受にボルトで固定
接眼保持部 :金属製で黒のエナメル塗装
焦点調節装置:ラックピニオン式
架台及び三脚:架台は金属製、三脚は木製二段伸縮
付 属 品:ラムスデン式接眼鏡、サングラス
定 価:15円
『天文夜話』と「雑誌広告」の記述に違いがあったのは、『天文夜話』が1インチ望遠鏡が作られてから50年以上も経ってから書かれたものであり、記憶違いや思い違いがあったためと思われます。また、大正15年の乙号の雑誌広告に、鏡筒が「茶褐色のエナメル仕上げ」とあるのは疑問が残ります。1インチ望遠鏡の「説明書」にあるように、「白と黒のエナメル塗り」というのが本当ではないでしょうか。
それから、対物レンズの鏡径は30mmと『天文夜話』にはありますが、「野外用」のものを測定したところ28mmでした。「普及型」の広告にも直径28mmとあります。どの機種から28mmになったのか、今後調べる必要があるようです。何れにしても、五藤光学が最初に製造販売した1インチ望遠鏡は、大正15年11月から昭和4年月までの僅か2年8ヶ月の間に、大きな変更が4回も行われ、5種類も製造販売されました。これは、天文学の民衆化を謳った五藤齊三氏の真骨頂といえます。それから、1インチ望遠鏡に付属していた接眼鏡数個の焦点距離を測定したところ、どれも20mmありました。当時の製品はそのようなものです。
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