連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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住職の磨いた鏡 1/4
~笹川重雄氏の遺品~

更新日 2013.10.2

いきさつ(経緯)

今から5年前の、平成20年(2008)8月17日(日)の夜、株式会社五藤光学研究所のK君から電話をもらいました。ガラクマさんが開設している「古スコの広場」の井戸端トークBBSに、故笹川重雄さんの娘さんがメールを寄せているという内容でした。翌日、会社に行き、早速メールの内容を確認しました。
ところで、それより1年ほど前の、平成19年(2007)7月のある日のことです、ハンドルネーム「一番星」さんが、井戸端トークBBSに「おぼろげな記憶では、笹川重雄さんだったと思うのですが、45年程昔のことです。あるグラビア雑誌で紹介されたのですが、25~30cm程のニュートン式反射赤道儀を自作されました。・・・・・ご存命なら100歳に近いかも知れませんが、どこかにグラビアがあるなら当時の写真がもう一度見たくなりまして、お騒がせした次第です。」という書込みをしました。
そこで、私は井戸端トークBBSに、五藤光学の社史『星・空・夢』の中から笹川重雄さんの項をアップし、笹川さんの人となりを紹介しました。

(写真)五藤光学研究所 1926-1996「星・空・夢」

↑(写真)五藤光学研究所 1926-1996「星・空・夢」

また、一番星さんは、「グラビアがあるなら当時の写真がもう一度見たくなりました。」とありましたので、手許にある昭和30年前後の科学雑誌を調べてみました。すると、『科学画報』の昭和33年(1958)2月号に、笹川さんの自作記事「人工衛星観測用機器の自作組立について」という記事がありました。これは、一番星さんが見たいと思っている「25~30cm程のニュートン式反射赤道儀」の自作記事とは違うかも知れませんが、BBSにアップすることにしました。
世界初の人工衛星がソ連によって打ち上げられたのは、昭和32年(1957)10月4日の夜のことです。従って、笹川さんは、わずか数ヶ月の間にこれだけのシステムを完成させたことになります。

(写真)『科学画報』に掲載された笹川さんの自作記事

↑(写真)『科学画報』に掲載された笹川さんの自作記事

このように、一番星さんの話題提供に対して、ガラクマさん、私、NGC1999さん、ロッドさん、コメトさんなどで盛り上がりました。
それから、かれこれ1年ほど経った頃、平成20年(2008)8月のある日曜日、井戸端トークBBSに、
「一年以上も前の井戸端トークを拝見して、勇気を持ってメール致しました。トークに出てくる笹川重雄の娘です。父も家の片隅に小さな天文小屋を建てて、退職後の天体観測を楽しみにしておりましたが、退職後まもなく80歳で亡くなってしまいました。自分では、100歳位まで生きて、できれば月旅行に行きたいといっておりました。父が亡くなり13回忌も過ぎ、つい最近その天文小屋を取り壊し、24cの凹面鏡?(木辺鏡)のみ残して望遠鏡も処分してしまいました。残骸と天文関係の書籍などはまだ残っています。もしもご興味がありましたら、ご連絡ください。書籍も少しずつ処分したいと思っています。」というようなメールが寄せられたのです。
これを見た私たちは色めきたちました。笹川さんの娘さんからメールが来たということはもちろんですが、大型赤道儀や人工衛星観測用の望遠鏡の部品、膨大な天文蔵書が失われてしまうのではないかと危惧したからです。そこで、娘さんに直接メールしたところ、五藤光学の方からメールが来たことに驚いたこと、天文小屋の望遠鏡とかなりの量の書籍を既に処分されたこと、しかし、長男からとめられ、まだ少し残っているという返信がありました。そこで、ガラクマさん、一番星さんと私で、笹川さん宅に伺うことにしたのです。

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