更新日 2014.5.28
荒木先生は、昭和20年(1945)8月15日、第二次世界大戦の終結にあたり、感ずるところがあって、文部大臣に辞表を提出し、同年9月、一家をあげて京都府の北部山間、天田郡上夜久野村に隠棲して著述三昧の生活に入ります。そして「天文宇宙物理学総論」と題し、古典天文学から現代の天体物理学に至る一切を網羅した、現代天文学の一大体系の編纂を目指します。その内容は、
第一部 古典天文学
1. 序説・球面天文学、2.実地天文学、3.天体力学
第二部 太陽系天文学
4.太陽系、5.太陽物理学、6.太陽系生成論
第三部 宇宙物理学
7.恒星物理学、8.連星、9.変光星と新星、10.銀河系
11.星雲宇宙、12.天体進化と宇宙論の問題
でした。著述の資料は、終戦までの文献で必要なものは全部揃っていたし、戦中・戦後の外国文献はいつでも入手できたので、執筆は順調に進みました。一方、爆撃で焼失した恒星社も、焼け残った新橋の小さなビルの二階の一室を借りて出版事業を始めていました。
出版は、昭和22年(1947)12月発行の『球面天文学』に始まり、23年(1948)11月に『太陽系』、24年(1949)2月に『恒星物理学』、9月に『銀河系』、そして11月に『天体力学』の上巻を発行しました。さらに25年(1950)3月に『連星』、27年(1952)に『星雲宇宙』が発行されました。
↑(写真)「天文宇宙物理学総論」全7冊
出版部数は、各巻1,000部ぐらいでしたが、粗末な紙質に不手際な印刷だったにもかかわらず、終戦直後は自然科学の専門書が全く無かったところに出版されたので、高級科学書に飢えていた理科系の大学生などが飛びついたと見えて、昭和24年9月発行の『銀河系』あたりまでは、ほとんど売れ切れてしまいました。しかし、その頃から、岩波などの立派な一般科学書が出始めたので、紙質や印刷の粗末な点も大きく影響して、『天体力学』上巻以後は次第に売れなくなり、恒星社としては、全く採算がとれなくなったので、ついにこの出版計画は、昭和27年(1952)9月発行の『星雲宇宙』で打ち切りになってしまいました。
つまり、「天文宇宙物理学総論」は、当初は12冊の予定でしたが、上記のような理由で7冊までしか出版されなかったのです。どうりで見つからないはずです。
しかし、荒木先生は当所の夢は捨てがたく、既刊7編の内容をほぼ1/4程度に縮小し、その他未刊の部分も同じ程度の長さにして、3年3ヶ月かけて書き直し、昭和31年(1956)5月に、B5版8ポ643ページの『現代天文学事典』として発行されたのでした。最初は、荒木俊馬先生と長男の荒木雄豪さんの共著と表示されていましたが、三訂新版では単に荒木俊馬著となっています。
↑(写真)昭和45年恒星社発行の『三訂新版・現代天文学事典』
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