更新日 2014.3.26
↑(写真)新城新蔵(1873-1938)
新城新蔵博士は、明治6年(1873)6月20日、会津若松の酒造家先代平右衛門氏の6男として生まれました。会津中学、第二高等学校を経て、明治28年7月東京帝国大学物理科を卒業し、引き続き同大学院に入学、物理学一般について研究、30年9月に陸軍教授を拝命し砲工学校で教鞭をとりました。33年6月、京都帝国大学理工科大学助教授となり、主として力学方面を担当、38年1月ドイツに留学、ゲッチンゲン大学で物理学を研鑽、40年末帰朝、ただちに京都帝国大学教授に任ぜられ、42年5月に理学博士の学位を受けました。大正7年7月、京都大学理学部に宇宙物理学講座を新設、爾来転じて同講座を担当し、8年5月米国に出張、12月帰朝、12年7月汎太平洋学術会議参列のためオーストラリアに出張、同年秋帰朝、12月京都大学理学部長、14年12月満期退職、昭和4年3月京都帝国大学総長に就任、8年3月依願退官、同年5月京都大学名誉教授となる。9年万国地球物理学会出席のためポルトガルのリスボンに出張、引き続きヨーロッパ各国を歴訪して同年末帰朝、10年2月上海自然科学研究所長に就任、爾来日支文化提携に献身され、昭和12年日華事変が勃発すると、敢然戦乱下の研究所を死守して本邦科学者のために万丈の気を吐き、また、戦闘直後の北京南京杭州等を南船北馬して寧日無く、戦後支那における大学、研究所、諸教育機関の再生復興や、学術標本文化資料の散逸防止保管に粉骨されたが、博士の老体には炎熱瘴癘(えんねつしょうれい)の南京は余りにも苛酷に過ぎたためか、昭和13年(1938)8月1日、遂に紫金山下に殉職されるに至りました。享年66歳、病名は悪性の細菌性赤痢でした。
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