更新日 2014.4.23
8月21日は、風が出てきたようで、窓枠がカタカタとかすかな音を立てています。また、軽い雨も斜めに飛んでいます。そんなこんなで、朝食もとらず11時半まで睡眠の醍醐味を楽しみます。それに、荒木先生が少々風邪気味のようで、今日は一日外出もしないで、静養して過ごします。
8月22日は、天気も良く、昨日一日休養したので疲れもとれたようです。そこで、午後にサン・サルバトーレ山に登ります。眼下には、ルガーノの町が美しい一幅の絵のように広がり、その東にはモンテ・ブレの山が半円形をしたルガーノの港を隔てて屹立し、それと対角線に向かい合ってカプリノ、カヴァルリーノの山、これらの山々が屏風のように直立しています。荒木先生は、親友Hの双眼鏡を借りて、展望台の案内板を頼りに、モンテローザ、ユングフラウ、モンテレオネ、ブリンデンホルンなどの山々のパノラマを満喫しました。その後、レストランのテラスの円卓に腰を下ろして、1時間あまりビール楽しみ、夕方5時半ごろ山を下りて宿に帰りました。
8月23日、晴れ。今日は早起きしてコモ湖に遊びに行くというのが昨夜遅く相談して決めたことです。荒木先生は朝6時に起きましたが、朝寝礼賛者のHを起こすのは気が引けました。7時に食堂に下りて例のコーヒーとパンの朝食をとり、7時半に宿を出ました。汽船でルガーノ湖を渡り、軽便鉄道でポルレッツァからメナジオ駅まで行く。10時25分着。汽車から降りて石段を下れば波止場で、コモ行の汽船が待っています。コモ湖は、ルガーノ湖の約3倍の大きさで、「人」の字形の湖ですが、コモ湖というのは「人」の字の第一画の「ノ」の部分だけで、第二画の「ヽ」はレッコ湖で、両方の湖が合わさっているところの西岸にメナジオの町があります。そこから、船はジグザグに進み12時50分、「ノ」の字の先端コモの港に着きました。コモは北イタリア第一の名高い避暑地で、ドストエフスキーの小説のどこかに「コモの夏の夜のばか騒ぎでもするか」といった会話の文句があった、・・・それほど有名な市街です。人口46,500、北イタリアの三湖(コモ、ルガーノ、マジョーレ)地帯で最も繁華な都です。しかし、荒木先生は、「来て見ればイタリア語のノネタント(そんなでもない)で、それに清潔なスイスの街々から来れば、塵深いといった感じはどうすることも出来ません。」といっています。
コモの街を見物していると、広場の中央に、ガウンを着て、首をやや前に傾けて立った大理石の像の記念碑がありました。Monumento ad Alessandro Voltaです。
「あのヴォルタかな」
「どうもあのヴォルタらしい」
「するとヴォルタはコモ生まれらしいね」
ヴォルタは、先生たちにとってとても親しい名前です。案内書をひも解いて見ると、
Auf der Piazza Volta, sudwestl. vom Hahenplatz, ein Standbild des Physikers Graf Alessandro Volta (geb. in Como 1745, gest. 1827).
――港の広場より南西、ヴォルタの広場に、物理学者アレッサンドロ・ヴォルタ伯爵の立像あり(1745年コモに生まれ、1827年死す)――とあります。
「君、ヴォルタは伯爵様だね。グラーフ・アレッサンドロ・ヴォルタと書いてあるよ。」
「伯爵の電気学者か。それにヴォルタがコモ生まれ。これは思わぬコモの拾い物。文部省留学生の勉強の一つと言うわけだな。」
二人は、笑いました。
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