連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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『現代天文学事典』誕生秘話 8/13
~現代天文学の一大体系の編纂を目指す~

更新日 2014.5.1

8月24日、晴れ。今日は一日休養と決め、9時過ぎに起き、朝食も部屋に運ばせて寝巻のままです。それから波打際の庭の例の赤いパラソルの下の椅子に座り、ぼんやりと湖面を眺めて過ごしました。
8月25日、晴れ。9時頃まで寝て、午前中に荷物の片付け。12時15分に昼食をとり、いよいよホテル・セレジオ・エスプラナードともお別れです。
1時25分、ルガーノ・パラディーソの船着場から小さな蒸気船に乗ってポンテ・トレーザ・イタリヤーノに着きました。そこから、今度は電車に乗ってルイスに向かいます。そして3時23分、ルイスに到着しました。ルイスは、マジョーレ湖畔の一つの小さな港です。3時50分、再び船に乗りロカルノに向かいます。そして、5時35分、ロカルノの港に着きました。
早速、ルガーノのホテルの主人に紹介してもらったホテル・メトロポールに泊まることにし、マドンナ・デル・サッソノ寺院などを見学しました。
1929年8月26日、それはロカルノを去り、ピエモンテの美しい湖水地帯に別れを告げて、アルペンの山ふところに向かう日です。ロカルノ・S・F・Fの停車場から、10時28分発の市街電車に乗ってツェルマットに向かいます。ロカルノの町を出て、段々畑のブドウ園を抜け、電車は真西に向かって進み、間もなくサンタマリアマジョーレです。
サンタマリアマジョーレは、ヴィゼッツォ渓谷では中心をなす町ですが、山間の田舎町に過ぎません。サンタマリアマジョーレの駅を出ると、メレッツアの渓流に別れを告げて、一路ドモドッソラの盆地に下ります。12時44分、ドモドッソラ着、そこから3分ほどの停車場が終点です。汽車を乗り換えて1時13分に出発。小さなトンネルをいくつか抜けると、いよいよ世界最長のシンプロントンネルです。汽車は、トンネルの中を次第に登っているらしく、車窓に照らされた両側には、轟々と響きわたる轍の音に躍るように、白線の幾筋かが後ろへ後ろへと流れて行きます。この地底のトンネルの上には、海抜3,561メートルのアルプス高峰の一つモンテ・レオーネが聳えており、イタリアとスイスの国境のあるところです。2時30分、ブリークの駅に着きました。そこから10キロ先のビブスの駅で山岳鉄道に乗り換えて、ツェルマットをめざします。そして、やっとのことでツェルマットに着いたのは、陽もアルプスの山の端に隠れて黄昏も迫ろうとする5時5分でした。
ツェルマットは、標高1,620メートルの高地で、人口750に過ぎない一寒村ですが、この頃のツェルマットの賑わいは格別で、外国人の散歩で満ち、日本アルプスでいえば、上高地のようなところです。ツェルマットは、絵葉書や木彫細工などの土産物を売る店、登山用具の売店、それにホテルとレストランで成り立っている街です。「街はずれの静かな登山者でも泊りそうな粗末で、山が寝転んで眺められるような安宿を探そう」というのが、先生たちの魂胆です。
賑やかな街を過ぎると、狭い巷を、首の下に可憐な鈴の音を響かせて、山の放牧地から黄昏の家路を辿る牛や羊が幾群れも幾群れも通って行きます。家並みがまばらになり、やや上り坂となって、100メートルほど向こうで道が二つに分かれているらしいところ。ふと遠目にも確かにそれと認め得る毛色の変わった――と言えばあるいは逆かも知れないが、実は我々と同じ皮膚の色らしい――夫婦連れ。
「日本人だろうか」
「いや、細君を連れているところを見ると中国人かな」
が、次の瞬間、「日本人だ」と気付いたのと、「見たような顔」と思ったのと、そして「東大のHだ」と結論を下したのとが全く同時でした。それは、正しく東大天文のHでした。
そう言えば、Hがアメリカに渡ったのは一年前、そして帰途ヨーロッパに回るため夫人を呼び寄せたという噂、太平洋で同夫人と同船した人が偶然ベルリンの同じ下宿に泊まり合わせて、その人から聞いたこと、それにしても今はからずもこのアルプス北麓の一山村で、しかも到着早々遭遇するとは。
「ヤア、ヤア」
と日本でも数少ない同じ専門の二人は、あたかも広漠たる宇宙空間内における二つの恒星の遭遇のような不思議な奇遇に驚くより外はありません。それからしばらく立ち話をした後、後でゆっくり再会をと約束して別れました。

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