更新日 2014.6.11
連載第2回の「世界一小さな天体望遠鏡」のところで紹介した「ポケット天体望遠鏡」は、今から見ればおもちゃのような望遠鏡ですが、当時は大真面目な、ちゃんとした、一般の人々やアマチュアの人々向けの天体望遠鏡でした。当時、学校向けに発売された口径が1インチ(25mm)の単レンズの望遠鏡は、甲号が40円、乙号でも30円で、とても一般の人々が買えるような価格ではありませんでした。そこで、一般の人々やアマチュアの人々でも買えるように、1インチ望遠鏡の1/6~1/8の価格、つまり、定価5円で販売したのが、有効径20mm、焦点距離150mmの単レンズで、倍率が20倍(天体用接眼鏡使用時)のポケット天体望遠鏡でした。
それでは、色消レンズの対物鏡を搭載した最初の望遠鏡は、一体どのような天体望遠鏡だったのでしょうか。一緒に調べてみることにしましょう。
五藤齊三著の『天文夜話・五藤齊三自伝』に、
「私はシングルレンズをいつまでも売るべきではないと考えていた。ゆくゆくは口径八インチの色消レンズ赤道儀を、あるいはアポクロマチックのレンズを備えた赤道儀を発売する予定を持っていた。そこで色消レンズの製作は富岡光学の富岡正重氏に依頼し、またアイピースは東洋光学の鈴木泰一氏に依頼をした。その時、有効口径五十八ミリレンズをウラノス号、有効口径五十ミリのレンズをアポロン号、有効口径四十二ミリのレンズを作ってダイアナ号と命名し、三種の望遠鏡を製作したわけである。」とあります。
↑(写真)五藤齊三氏とその著『天文夜話』
つまり、『天文夜話』によれば、色消の対物レンズを搭載した最初の天体望遠鏡は、
口径58mmの「ウラノス号」
口径50mmの「アポロン号」
口径42mmの「ダイアナ号」
の3種類だったというのです。
確かに、『科学知識』の昭和3年(1928)4月号に掲載された五藤光学研究所の広告は、色消の対物レンズを搭載した口径が二吋四分の一という、後にウラノス号という愛称で呼ばれることになる天体望遠鏡でした。
↑(写真)『科学知識』昭和3年4月号の広告
口径 二吋四分の一 完全色消
倍率 133×、64×、32×、20×
架台 水平垂直微動装置完備
三脚 堅牢、安定、折畳、伸縮自在
付属 天頂観測装置、地上接眼鏡、太陽黒点映写機、格納箱
定価 190円
とあります。倍率から、接眼鏡は6mm、12.5mm、25mm、40mmの4種類で、40mmというのは地上用接眼鏡と推測されます。
架台は、間違いなく英国式の経緯台と考えられますが、添付の写真は何故か微動装置のない普通の経緯台になっています。おそらく、写真が広告の入稿まで間に合わなかったものと思われます。従って、ウラノス号が色消の対物レンズを搭載した最初の天体望遠鏡の一員だったのは間違いなさそうです。
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