更新日 2014.11.6
手許に、昭和28年(1953)4月改訂の1枚物の「五藤式天体望遠鏡定価表」というものがあります。それを見て驚きました。
↑昭和28年4月改訂の五藤式天体望遠鏡定価表
コメット号1型・・・・・・・・・・・16,000円
〃 2型(旧名スバル2型)・・ 22,000円
〃 3型(旧名スバル3型)・・ 30,000円
とあるではありませんか。
つまり、対物レンズの口径が42mmの従来からのコメット号を「コメット号1型」とし、定価を16,000円。
口径が58mmのスバル号2型を「コメット号2型」とし、定価22,000円。また、口径が63mmのスバル号3型を「コメット号3型」とし、定価30,000円とするというのです。
これで、不思議な「スバル号」は姿を消しましたが、それは、ただ機種名(愛称)がスバル号からコメット号に代わっただけで、先に述べた不思議な現象が起こることには変わりありません。
残念ながら、翌年の昭和29年(1954)改訂の「定価表」は手許にありませんので、その年がどうだったのかは分かりません。ただ、手許にある、昭和30年(1955)11月改訂の「五藤式望遠鏡定価表」ではつぎのようになっています。
↑昭和30年11月改訂の五藤式望遠鏡定価表
コメット号の1型~3型が姿を消し、コメット号1型が単に「コメット号」として掲載されています。機構は経緯台で微動はなし、対物レンズの鏡径は42mmで、焦点距離は750mm、倍率は天体用が38×と75×、地上用が25×、付属品の天体用接眼鏡はH10~20mmの組合式、地上用は30mm、サングラスと格納箱が付いて、定価は17,000円となっています。従って、これは従来からのコメット号に他なりません。
そして、このコメット号は、昭和34年(1959)4月改訂の「定価表」まで掲載されていますが、翌年の昭和35年(1960)2月改訂の「定価表」からは姿を消しています。従って、このコメット号は、昭和4年にはじめて現れてから昭和34年に姿を消すまで、31年間の長きに亘って製造販売されたことが分かります。これは、33年間に亘り製造販売されたウラノス号につぐヒット商品となったことを示します。それでは、ダイアナ号はどうなったのでしょうか。
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