更新日 2014.9.10
戦争をはさんで、昭和10年代と20年代は、五藤式天体望遠鏡の資料が極端に少ない時代です。カタログや説明書、定価表、雑誌広告など、手許には数えるほどしかありません。五藤式天体望遠鏡の戦後最初の広告は、昭和22年(1947)4月号の『子供の科学』に掲載されたものです。
↑『子供に科学』昭和22年4月号の広告
わずか38ページの薄っぺらな雑誌の、グラビアページの端っこに、手書きで「五藤式 天体望遠鏡 新鋭機設計完成」のタイトルと、「創業二十年本邦唯一の望遠鏡専門メーカーたる弊所は愈々創業開始しました。・・・云々。」という挨拶文が書かれています。戦後の混乱からようやく立ち直って、いよいよ創業を開始したという精一杯の表現だったのでしょう。この広告は、盛岡天文同好会のO氏が見つけてくれました。
ところで、戦後、最初のカタログは、昭和23年のものが手許にあります。昭和4年の青色のカタログと同じ、天文台のイラストのカタログですが、背景のイラストの左右が反転しています。昭和13年2月改訂の黄色の定価表と同じデザインで、表紙に「三吋の半移動型赤道儀」のイラストの入ったものです。
↑昭和23年7月改訂のカタログ(表)
↑昭和23年7月改訂のカタログ(裏)
このカタログの裏面に、ダイアナ号とコメット号が、はじめて仲良く紹介されています。
「ダイアナ号」のところには、「優良色消58粍対物鏡」とありますが、焦点距離の記載はありません。説明文に、「本機は可及的大口径鏡を可及的経済的に入手せんと希望せらるゝ向の為めに良心の許す最大限度の経済的製品として提供するもので・・・・・・・云々。」とあります。付属品として、天体用接眼鏡27×、64×、89×、地上用接眼鏡40×1個、サングラス1個、木製二段伸三脚1組、格納箱1個とあり、定価は1萬1千円です。
対物レンズの口径が、ウラノス号と同じ58mmというのも不思議ですが、組立用光学部品の対物鏡のところに、
高級品58粍、F800粍、定価・・・・4,000円
普及型58粍、F800粍、定価・・・・1,800円
高級品42粍、F750粍、定価・・・・2,000円
普及型40粍、F600粍、定価・・・・・900円
とあり、また、接眼鏡のところに、
ミッテンスエー型 25粍
仝 12.5粍
仝 9粍
定価各・・・・・・・800円
仝 6粍
定価・・・・・・・1,040円
ハイゲン普及型 12.5粍
仝 9粍
定価各・・・・・・・600円
とあります。対物レンズが普及型の口径58mm、焦点距離800mmのものと仮定すると、天体用接眼鏡は、H30mm(27×)、H12.5mm(64×)、H9mm(89×)、地上用接眼鏡はT-20mm(40×)が付属していたものと思われます。ウラノス号が高級品とすると、ダイアナ号は普及型だろうから、接眼鏡もハイゲン式が付属していたものと推測したまでです。従って、実際は対物鏡が高級品で、接眼鏡もミッテンゼー型だったかも知れません。ところで、対物鏡の定価が、高級品と普及型で倍以上違うのは、レンズそのものが違うわけではなく、レンズ枠に光軸調整装置が付いているか否かの違いだったのではないかと推測されます。また、挿絵がありませんので正確なことは分かりませんが、木製二段伸三脚とありますので、架台と三脚は、昭和5年のカタログの挿絵と同じ、アマチュア向けの野外用だったと考えられます。
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