更新日 2015.1.14
ところで、昭和26年(1951)に誕生したスバル号3型は、コメット号の架台と三脚に鏡径63mm(有効径60mm)、焦点距離900mmの鏡筒を載せた天体望遠鏡でした。それが、昭和28年(1953)にコメット号3型と愛称が変り、昭和30年(1955)に、コメット号1型が元のコメット号に戻ると、コメット号2型とともに姿を消しました。
コメット号1型は元に戻り、コメット号2型の鏡筒はまだウラノス号に使われいましたが、コメット号3型の鏡筒は、戻るところがなく宙に浮いた状態です。この鏡筒は、その後どうしたのでしょうか。
昭和30年代になと、理科教育振興法(通称:理振法)に準拠した天体望遠鏡が作られるようになります。小・中学校用の学習型として、文部省標準価格3万円の2吋半(6cm)経緯台と2吋半(6cm)赤道儀。高等学校用の学習型として、文部省標準価格7万円の3吋(7.5cm)標準赤道儀やエロス号(6cm)赤道儀などが出てきた時代です。6吋(15cm)と8吋(20cm)の南天赤道儀ができたのもこの頃です。
そして、鏡径63mmで焦点距離が900mmの鏡筒を探していると、つぎのような天体望遠鏡を見つけました。
↑昭和32年発行の英文カタログ
それには、ウラノス号、
色消対物レンズ | :有効径60mm、焦点距離900mm |
---|---|
集 光 力 | :肉眼の73× |
分 解 能 | :1.93″ |
極 限 等 級 | :10.7m |
マウンティング | :水平(全周)垂直微動付柱上式経緯台 |
三 脚 | :堅牢伸縮自在木製三脚(開き止め兼載物台付) |
塗 装 | :鏡筒白色、その他ライトグレー焼付エナメル塗装仕上げ |
とあります。
つまり、コメット号3型の鏡筒は、ウラノス号の架台に載って復活していたのです。ウラノス号といえば58mm決まっていますが、63mmと一回り大きくなって、昭和30年から35年まで頑張りました。
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