更新日 2015.4.30
東日会館が竣工したのは、昭和13年(1938)の10月ですが、東日天文館がオープンしたのは、翌月の11月3日のことです。プラネタリウムの入場料は、大人が50銭、小人が25銭で、下のようなリフレットが配られました。
↑昭和14年(左)と15年(右)のリフレット
また、当時、天文少年たちは、入口の売店で、20銭の小冊子を争って買い求めたといいます。
↑20銭の小冊子『星と宇宙とプラネタリウム解説』
これは、昭和13年11月3日に東日天文館が発行した『星と宇宙とプラネタリウム解説』という小冊子です。著者の鈴木敬信は、明治38年5月12日の生まれで、一般に「けいしん」さんと呼ばれていますが、本当は「たかのぶ」と呼ぶのが正しい読み方です。青山学院中等部の出身で、昭和4年に東京大学天文学科を卒業すると、上野の科学博物館の主任研究員となりました。そして、東日天文館の委託として出向し、プラネタリウムの計画段階から組立作業、学芸員の指導訓練まで一人で担当しました。そして、東日天文館は、「帝都の新名所」として天文知識普及の役割を果たすことになります。
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