連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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前田久吉著『日々これ勝負』13/16
~東日天文館建設の大難関~

更新日 2015.5.13

東日天文館のプラネタリウム

翌年の昭和14年から、解説者として野尻抱影が参加することになります。

(写真)30銭の小冊子『天文読本』

↑30銭の小冊子『天文読本』

これは、昭和14年11月30日に、野尻抱影が鈴木敬信の前述の小冊子に対抗して発行したものだという噂を聞いた憶えがあります。
やがて野尻抱影は、日曜日の小学生向けの解説を担当することになりますが、鈴木敬信は、「爺さんが来てやり難くなった」とつぶやくようになったといいます。
昭和30年に中央公論社から1,500部限定で発行された、野尻抱影著『星三百六十五夜』の6月19日のところに、プラネタリウムと題して、
「ツィゴイネル・ワイゼンを放送してゐる。聴きながら眼を閉ぢてゐると、戦争で破壊された前の毎日天文館のプラネタリウムがはっきりと見えて来る。解説者の一人の秋山君――惜しくも亡くなった――が音楽院出身で、毎回いろいろのレコードをかけてゐたが、夜明けには多くこの曲だったからだ。思ひ出は懐しい。解説が始まってまだ明るい間は、地平をめぐる風景の黒いシルエットを、ポインターの赤い灯の矢が指しながら一巡する。「愛宕山の名残のアンテナ」なども、うまい言葉だった。終りに宮城の上にかかると、「かしこくも大内山の・・・・・」と言って、ここだけは灯の矢を横にすべらせて行く。なるほどと、當時は感心してゐた。
トロイメライなどの静かな音樂の間に、太陽がシルエットの蔭へ沈むと、しばらくは西は「水いろの薄明」で、宵の明星が、時には水星も低くにじんでゐるが、これも暮れて、ドームの天井は燦然たる星空となる。この瞬間はいつも聲を擧げたいほどの美しさだった。」と書いています。

(写真)野尻抱影著『星三百六十五夜』昭和30年 中央公論社

↑野尻抱影著『星三百六十五夜』昭和30年 中央公論社

青森のGさんも、今からちょうど70年前に、確かに毎日天文館のプラネタリウムで、このような美しい星空を眺めていたのです。

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