更新日 2015.5.20
今回は、古臭い一冊の本の話ですから、気の利いた挿絵も殆どなく、黴の生えたような文章ばかりで、さぞ飽き飽きしたことでしょう。そこで、お口直しに「おまけ」を設けてみました。また本の話ですが、楽しんでいただければ幸いです。
さて、最初の方に、青森のGさんからの手紙に、「半年後、有楽町のプラットホームからドームの残骸を見上げた時は悲しくてなりませんでした。学校で習った『方丈記』の文言を思い出しました。」とありました。
これは、恐らく冒頭の、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。・・・」という文言のことではないでしょうか。
今の若い人たちには考えられないことでしょうが、私のような歳の人々は、皆、
兼好法師の『徒然草』序段の「つれづれまるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」とか、
芭蕉の『奥の細道』の序章の「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。」
夏目漱石の『草枕』の冒頭の「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
などの名文句を、一生懸命暗記したものです。
昭和43年(1968)70歳のとき、ノーベル文学賞を受賞した川端康成は、若い頃『末期の眼』に、「いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではない。いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い。・・・・・」と書きましたが、昭和47年(1972)83歳のときに、自ら命を絶ち人生の幕を閉じました。
ところで、このような名文は何も文学作品に限ったことではありません。天文書にも多数あるのです。2、3紹介しましょう。
平山清次著の『小惑星』に、
「自然は、怠惰な学者が机の上で想像する程、単調でも平等でも無い。意外な発見は常に意外な方面から現れる。」とあります。
↑平山清次著『小惑星』昭和10年 岩波書店刊
萩原雄祐著の『星雲の彼方』の「はしがき」には、
「一目渺茫たる砂漠に疲れはてた旅人は日暮れむとして地平線の遥かあなたのオアシスを夢みる。蒼穹にきらめく銀河の彼方のかすかなる愛の子守歌を夢みる。遥かなる星、遥かなる銀河、そこに人生の詩がある。行路の涙がある。そこには輝ける希望があり、永遠の愛の揺籃がある。」とあります。
これは、その後『星座の縮図』に、
「一目渺茫たる砂漠に
日は将に暮れようとしている。
酷熱に糜爛しきった砂を踏みしめながら
疲れ果てて旅人はゆく。
旅人の熱に浮かされた瞳は
地平線の遥かあなたのオアシスに燃える。
旅人の果てしない夢は
蒼穹にしらめく銀河の彼方へと駆ける。
遥かなる星、遥かなる銀河
そこには輝いた希望の蕾がほころび
そこには永遠の愛の揺籃がかき抱く。
あの燦然たる銀河は生の喜悦を会得せしめ、
瀟洒たる夢の星雲は甘露を懇々とたたえる。
そこには不滅の愛と永劫の生命が息ぶき、
そこには生命の妙なる旋律が微笑する。
崇めよう天文学、湛えよう天文学。」
と、洗練された一編の詩として掲載されています。
↑萩原雄祐著『星雲の彼方』昭和24年 恒星社厚生閣刊
萩原雄祐著『星座の縮図』昭和30年 読売新聞社刊
< 13.にもどる | 15.にすすむ > |