更新日 2015.4.1
『日々これ勝負』をつづけると、
「岡田内閣の後を受けて広瀬内閣が、軍部の横槍で難航の末、やっと成立したのは三月にはいってからであった。それほど軍の勢力は強くなっていた。外には日華の関係が爆発寸前にあった。日華事変が起こる直ぐ前の年だった。欧州ではドイツ、イタリアの動きが注目され、ヒットラーのドイツ再建の夢が伸び、イタリア軍はムッソリーニの号令の下、エチオピアに向けて進攻を始める。―中略―私は自分の方針において、いろいろとやって見た。幸いに発行部数はやゝふえて来たし、広告もいくらか増収になった。しかしそれでもまだ、支出に比して収入が少ない。なんとか収入を増したいと、天象儀(プラネタリウム)設置の計画を考えたり、小学生新聞を出して見たり、八方苦心したのも当時であった。これらは相当以上の効果を挙げた。
この苦心が酬いられ、一年近くなると、ようやく収支のバランスがとれるようになり、立直しの見込みが充分ついて来た。そこで私は、初めからの約束通り三百万円増資の議を十二月の株主総会へ持ち出したのである。もちろん時事百年の計を樹てるためであった。ところがこの三百万円増資の提案から、はからずも株主間に大きな意見の相違を生じ、大波瀾が巻き起る事になった。」とあります。
↑(写真)福沢諭吉(『福翁自伝』の口絵より転載)
つまり、福沢諭吉以来50数年の伝統を誇る、三田の慶應義塾出身の役員や大株主の強者が多くいます。彼らは、立直りの兆しが見えてきたので、これを機に時事新聞の経営を外来者に任せず、自分たちでやろうというのです。これを仮に保守派としましょう。
これに対して、三田系でも真に時事新報の将来を憂いる後援者も数多くいます。彼らは、この大切な時に、私情や野心に左右されることは絶対に避けるべきだ。もし、一部の人の言動によって経営者が変更になるようなことがあれば、再び不振に逆戻りして、より以上の最悪の事態になることは目に見えている。従って、一部の野心とも見られる排他的な主張には、絶対承認できないというのです。これを正義派はとしましょう。
こうして、双方が揉み合っているうちに、波乱は更に大きくなったのです。
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