更新日 2015.4.8
『日々これ勝負』はさらにつづけます。
「株主総会は大荒れに荒れた。保守、正義の両派が、おのおの自説を固く執って激論は激論を生み、真剣な顔が互いに気色ばみ、いつ果つべしとも見えなかったが、その激論の中から、いっそ解散してしまえ、という叫びが挙った。―――この際経営者の変更は断然反対である。経営の変更によって招来される最悪の場面に直面したその時こそ、時事は窮地に落入り末代までの名聞にも関する。事態紛糾かくなった以上は、今この時を機に思いきって一応解散すべきである。拱手醜態(きょうしゅしゅうたい)を世に曝さんよりはむしろ、いさぎよき決意に最後を飾るべしだ、という悲痛な主張であった。そしてその解散説が次第に有力となって来た。
しかし、これは重大な問題である。形勢は一転して正義派の解散論、保守派の反対論が沸騰し尽きるところを知らなかったが、保守派の野心と策動を憂慮する正義派の人々は、時事名聞のためにはやむを得ずと悲壮な決意を固め、遂に株主総会は解散を決議したのであった。」というのです。
前田久吉は、この無念さをつぎのように述べています。
「私としては唐突の事ではあり、また予想もしなかっただけ、真に残念せあった。かつて日本工業新聞創刊当時の苦しい際、八方から廃刊を迫られても、誰がなんと云おうと押切って来た私ではあったが、今度は株一つ所有せぬ外来者の口惜しさ、一旦株主総会で解散ときまったからには、千言万言費やすとも方法の無い事は承知している。しかし私の一身よりも、時事の為に惜しんだ。
徒らに系閥に捉われ、所有株の多数を恃んで自己の力量不足を思わず、一個外来者の私を追放して、時事経営に乗り出そうとした一部の無定見は、遂に一物を得る事なく、名門時事をこの土壇場に追いつめることになったのだ。ひょうたんから駒が出るというが、この際は解散という不運な駒が飛び出してしまった。時事譜代の士が却って時事を殺す結果になった。その原因は一部の独善排他的な野心にある。一旦引受けた責任において最善の努力を尽した私に、なんの悔いるところはないが、しかし折角立直りかけた時事の運命がここに窮まり、百年の計も水泡に帰したかと思うと、私はそれが何よりも無念至極であった。」と!
前田久吉は、いさぎよく時事を去ろうと思っていました。ところが、再び予想もしなかった難関に巻き込まれるのです。
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