更新日 2016.2.15
≪格納箱≫
五藤光学は、1インチ望遠鏡の後に製造販売した天体望遠鏡に、惑星や星座の名前を愛称としてつけるようになります。そして、色消しレンズの最初の天体望遠鏡3種に、ウラノス号、アポロン号、ダイアナ号と名付けました。ウラノス号の名前がはじめて現れるのは、昭和5年のカタログです。また、『科学画報』の昭和5年7月号に掲載された五藤光学の広告に、ウラノス号190円とあるのは、おそらく、このカタログにあるウラノス号のことでしょう。
ところが、それより前の『科学知識』昭和3年4月号に掲載された五藤光学の広告に、口径が二吋四分の一という色消レンズの天体望遠鏡が出ています。これは、一体どのような望遠鏡だろうか。もしや、故五藤齊三氏が『天文夜話』に記した、初期型のウラノス号ではないかと思いいろいろ調べてみました。すると、五藤光学が世田谷区弦巻町に移転するときに、在庫品を処分するために配った「在庫品目録」というチラシに、「ウラノス号(二吋四分の一)190円」とありました。そこで、この天体望遠鏡こそが初期型のウラノス号であると確信しました。そこで、この望遠鏡を「ウラノス号1型」と呼ぶことにしました。こうして、その後もいろいろ調べて、ウラノス号は全部で5種類あったことを突き止めたのです。
「ウラノス号1型」は、鏡筒に露帽も光軸修正装置も筒内絞りもありません。架台は、三脚を取付ける部分が飛び出した武骨形状です。昭和3年から5年頃まで製造発売されました。
「ウラノス号2型」は、鏡筒がアルミのパイプになり、露帽と光軸修正装置と筒内絞りがつきました。昭和5年から昭和11年頃まで製造販売されました。
「ウラノス号3型」は、架台の三脚を取付ける部分の飛び出しがなくなり、すっきりしたデザインになりました。昭和10年代に製造販売されました。
「ウラノス号4型」は、三脚が二段伸縮から直脚になりました。昭和20年代に製造販売されました。
「ウラノス号5型」は、対物レンズの鏡径が63mm、有効径が60mm、焦点距離が900mmになり、三脚の二段伸縮に戻りました。昭和30年から35年頃まで製造販売されました。
それでは、ウラノス号1型の全体像をご覧ください。
↑ウラノス号1型
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