連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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歴戦の勇士“スカイグラフ” 1/5
~格納箱の蓋がめくれ上がるまで活躍した新型ポータブル星野撮影赤道儀~

更新日 2017.12.4

天体写真ブームの到来

今から52年前の昭和40年(1965)7月、株式会社 誠文堂新光社から『月刊 天文ガイド』が創刊されました。この『月刊 天文ガイド』は、定価が100円と安価だったこともあって、購読者が小・中学生からアマチュア天文家まで、アッと言う間に広がりました。
翌年、昭和41年(1966)の『天文年鑑』の広告には、「いままで全然関心のなかった人にもわかる天文の雑誌、それもただ読んで知識を身につける、というのではなく、すぐに観測を楽しんだり、美しい天体の写真が写せるようになる雑誌――そんな雑誌がこの「月刊天文ガイド」です。・・・・・・・云々。」とあります。
また、同年に、『月刊 天文ガイド』4月号の臨時増刊「天体写真入門」が発行されたのを契機に、各天体望遠鏡メーカーはこぞって「カメラアダプター」を開発・販売します。株式会社五藤光学研究所でも、口径10cm以下の天体望遠鏡用(A型)、口径6.5cm以上の天体望遠鏡用(B型)、テレパック用(C型)などのカメラアダプターを発売しました。こうして、アマチュア天文家の間に空前の天体写真ブームが到来したのです。

(写真)五藤光学製のカメラアダプター

↑五藤光学製のカメラアダプター

五藤光学のカメラアダプターは、天文部の太田健太郎氏が月を直接焦点で撮影するために、真鍮の丸棒を削って作ったのがそもそもの始まりです。それは、望遠鏡のドロチューブとアサヒペンタックスのボディを繋ぐために両端にネジを切り、カメラの向きを変えられるようにナットのリングをつけたごく単純なものでした。その後、惑星や星雲・星団などを拡大撮影するために、全体を少し長くし、中に接眼鏡が入るようにしました。その後、これらを参考に昭和40年代初頭にカメラアダプターが製品化されたのです。

(写真)若かりし頃の太田健太郎氏(右端)と筆者(左端)

↑若かりし頃の太田健太郎氏(右端)と筆者(左端)

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