連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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格納箱からのアプローチ 1/3
~2017年10月にヤフオクに現われた謎の鏡筒とその格納箱~

更新日 2019.1.15

格納箱と銘板

H.S.さんが送ってくれたヤフオクの資料を最初に見たときは、格納箱があまりにも貧素だったので、これは戦前のものに違いないと思いました。そこで、H.S.さんに「昭和13年以前に作られたものと思う」とメールしたわけです。
実は、天体望遠鏡の格納箱は、中に入る望遠鏡が高級品であれば箱も立派に作られ、そうでない望遠鏡の場合は箱もそれなりに作られます。従って、格納箱を見れば、どの程度の望遠鏡が入っていたか、おおよその見当がつきます。それでは、今回の格納箱はどうでしょうか、調べてみることにしましょう。

(写真)ウラノス号4型の格納箱

↑ウラノス号4型の格納箱

(写真)今回の鏡筒が入っていた格納箱

↑今回の鏡筒が入っていた格納箱

(写真)今回の鏡筒が入っていた格納箱の寸法図

↑今回の鏡筒が入っていた格納箱の寸法図

前に掲げた写真と図からも分かるように、ウラノス号4型の格納箱は、厚さが15mmもある立派な無垢の板で作られているのに対し、今回の鏡筒の入っていた格納箱は、厚さが9~10mmの薄い杉板で作られた、仕切りも簡単ないかにも貧素な格納箱です。従って、中に入っている望遠鏡も、昭和13年よりも前の五藤光学黎明期の望遠鏡ではないかと考えたわけです。
ところが、ヤフオクに掲載された写真を見ると、金属を使った簡素な造りに見えたので、時代の違う他社の製品ではないかと疑いました。
しかし、実際に送られてきた現物を手に取って調べてみると、意外にしっかりした造りで、アルミが多用されていることから、もう少し時代の新しいものではないかと思うようになりました。何故かというと、昭和のはじめ頃は、アルミ二ウムは新しい素材で、真鍮よりも高価で、気軽に使える材料ではなかったからです。
それでは、格納箱に貼られた銘板を見てみましょう。

(写真)今回の鏡筒が入っていた格納箱に貼られた銘板

↑今回の鏡筒が入っていた格納箱に貼られた銘板

“ZEUSマーク”の右に、「東京 世田谷」、下に「五藤光学研究所」とありますが、「株式会社」の標記はありません。
実は、五藤光学が株式会社でなかった時期は、昭和13年以前の他にもうひとつの時期がありました。つまり、昭和17年4月20日~昭和30年5月15日までの期間です。
また“ZEUSマーク”が使われたのは、昭和8年~昭和29年までですから、前回お話した五藤式普及型天体望遠鏡『ダイアナ号』が製造販売された昭和23年前後は、ちょうどこの時期にあたります。
昭和27年のカタログや昭和28年の定価表から、五藤式普及型天体望遠鏡『ダイアナ号』(鏡径58mmのダイアナ号)は消えておりますので、この製品は戦後数年というごく短い期間だけに販売されたもののようです。おそらく、終戦直後の物資の不足していた時代ですから、定価が11,000円(現在に換算すると約40万円)もするダイアナ号の格納箱が、粗末な杉板で作られ、望遠鏡の鏡筒がブリキで、対物レンズ枠が鏡筒にじかにつけられ、接眼部も回転式の簡単な機構のものに変えられたのも頷けます。
天文学の民衆化を進める五藤齊三氏としては、戦後の苦しい時代にあっても、美しい星空を眺めて心を癒し、何とかこの苦境を乗り切ってもらいたいという、苦渋の決断だったのではないでしょうか。

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