連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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太陽投映機 1/5
~太陽投映並プレパラート投写機兼用地上用接眼鏡~

更新日 2020.10.16

五藤齊三の経営理念

五藤光学を創立した五藤齊三は、若くして父を亡くしたので、13歳で土佐農工銀行の給仕として働くなど、いろいろな職業を転々としました。ちょうど30歳のとき、同郷の知人の紹介で日本光学工業株式会社(現:ニコン株式会社)に入社します。そして、庶務課長を拝命しますが、戦後の不況で人員整理を余儀なくされ、五藤齊三がそれを担当する羽目になります。そこで、自分も日本光学を率先退職し、社外から応援することにして五藤光学を設立しました。大正15年(1926)9月のことです。

(写真)設立当時の五藤光学研究所と五藤齊三

↑設立当時の五藤光学研究所と五藤齊三

上の写真からも分かるように、社名が五藤光学製造所でも五藤光学工業株式会社でもなく、五藤光学研究所となっています。これは、従業員全員が常に“作業即研究”という態度で仕事をするようにという意味から五藤齊三によって名付けられたものです。
五藤光学は、最初、自宅に2~3人の従業員を雇い、単レンズの口径25mm焦点距離800mm定価30円と40円の天体望遠鏡の製造販売からスタートしました。
五藤齊三は、日本光学時代に懇意にしていたドイツ人技師から、会社経営についてもいろいろな事を学びました。そして、“物を売る前にまず名前を売れ”という考えから、全国の小・中学校に対して、天文教材の扱い方と題する講習会と天体観測会を無料で行う旨の宣伝をしました。そして、昭和4年(1929)7月始め、北海道の釧路を皮切りに順次に南下し、12月始めの鹿児島大学を最後として数10校で講習会を行いました。

(写真)札幌市での天文講習会(昭和4年8月)

↑札幌市での天文講習会(昭和4年8月)

(写真)札幌市での天体観測会(昭和4年8月)

↑札幌市での天体観測会(昭和4年8月)

また、日本の企業は、とかく先走りしたがる傾向が強く、あれこれいろいろなものを手掛けるが、五藤齊三は“1社1業”を守って、天文機器こそ我々の生命であると考えて天体望遠鏡ばかり作ってきました。
そのような事から、アイディア一杯の優れた天体望遠鏡の付属品が数多く作られました。例えば、1個で2種類の接眼鏡として使い分けのできる組立式の接眼鏡や、ちょっと組み替えるだけで地上用と天体用に使えるテレストリアル・タイプの地上用接眼鏡、1個で星用にも太陽用にも使えるダイヤゴナル・プリズムなどいろいろあります。しかし、私が最も気に入っているのは「太陽投映機」です。

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