連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.1 1/13
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2022.1.7

新彗星を発見

山崎正光氏は、カリフォルニア大学天文学科を卒業して帰国し、岩手県水沢市(現:奥州市)の緯度観測所(現:国立天文台水沢VLBI観測所)に勤務していた。
山崎氏は、昭和3年(1928年)当時、天文学上小望遠鏡を使った観測の中で、最も興味があり学術的に貢献度の高いのは、変光星の観測と彗星の捜索だ。変光星の観測には口径3インチ程度の望遠鏡で充分であるが、彗星の捜索にはもう少し大きな口径が必要となる。それは、彗星が望遠鏡で発見できる時の光度が弱いからで、少なくとも5インチ以上か8インチ程度のものが必要と考えていた。
 山崎氏は、リック天文台にいた時の経験と、水沢地方の天気の悪さや仕事の忙しさから、道楽としての観測は出来ないが、それでも彗星は、毎年世界で数個づつ発見されている。しかし、わが国では1個も発見されていないのは自分でも不思議に思うし、自分も天文家の一人として責任を負うべき位置にあると思っていた。そして、昭和3年10月から、仕事としての観測が2日交替になり、多少時間がとれるようになったので、彗星の捜索を始めることにした。

(写真)山崎正光氏と8吋(20cm)彗星捜索機

↑山崎正光氏と8吋(20cm)彗星捜索機

当時、山崎氏が彗星捜索に使っていたのは、口径8インチ(20cm)、焦点距離45インチ(1,140mm)のニュートン式反射望遠鏡である。1910年に始めて作り、それ以来ずっと肌身離さず使って来たもので、日本人によって作られた反射望遠鏡の第一号ともいうべき歴史的なものである。
10月11日に、夕方わし座i星の南に、自分の星図にはない彗星のような天体を見つけた。しかし、緯度観測所にはドライヤーの星雲表(NGC)も、フランクリン・アダムスの写真星図もない。従って、これが彗星なのか星雲なのかを決定するには、その運動を確認するしか方法がない。彗星ならば数時間の後、必ずその移動が見られるはずだ。そこで、しばらく待ったが、雲が出てきて星が全く見えなくなってしまった。

(写真)ドライヤーの星雲表(NGC)

↑ドライヤーの星雲表(NGC)

下に、観測時に近い大正13年(1924)にスツーカーによって刊行された星図「STERN-ATLAS」(1900分点)にわし座i星の位置を示した(矢印)。

(写真)わし座i星(矢印)「STERN-ATLAS」Dr.P.STUKER

↑わし座i星(矢印)「STERN-ATLAS」Dr.P.STUKER

しかし、つぎの日の夜も雲のため見えない。そこで、東京天文台に手紙を出して、彗星でないか確かめてもらうよう依頼した。東京天文台では、木下国助技師と蓮沼左千男技師がこの付近の写真を5枚ほど撮って調べたが、彗星状のものは見つからなかった。その後、2、3日して山崎氏も同じところを見たところ、そこに彗星状の天体がまた見えたので、それが彗星ではなく星雲だったことが分かった。
 山崎氏は、10月28日にも午前2時過ぎ、月がだいぶ西に傾いた頃から彗星の捜索を始めた。午前4時頃、しし座χ星の北1°(0.5°との記事もある)のところに、大きさ3′、光度およそ9等の星雲状の天体が見えた。この方向には多数の星雲や星団があるから、位置を特に注意して決定し、スケッチをとってしばらく見ていた。1時間くらいの間に移動は見られなかった。そして、夜も次第に明け始めたので、明日また観測することにして切り上げた。しかし、つぎの日からは天気が悪く、月も次第にこちらの方向に進んで来るので、再び見る機会を失ってしまった。

(写真)しし座χ星(矢印)「STERN-ATLAS」Dr.P.STUKER

↑しし座χ星(矢印)「STERN-ATLAS」Dr.P.STUKER

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