連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.1 10/13
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2022.3.11

 そこで、手許にある昭和31年(1956)と昭和32年(1957)に山本天文台から発行された、謄写版刷りの『天文年表』で調べてみることにした。

(写真)1956年と1957年の山本天文台発行の『天文年表』

↑1956年と1957年の山本天文台発行の『天文年表』

 内容は、誠文堂新光社発行の『天文年鑑』とほとんど変わらないが、その年のいろいろな天文現象がこと細かに書かれている。
彗星の項を見ると、まず、〔最近年の彗星発見の一覧表〕があり、つぎに、〔1956-1957年に帰来する彗星〕となっている。1956年度のもの6星と、1957年度のもの12星、それから、1955年度のもののうち未発見のものが4星、計22星が掲げられている。そして、一覧表の他に、個々の彗星についての解説が記されている。クロンメリン彗星は6番目で、つぎのようにある。

(写真)昭和31年版「天文年表」のクロンメリン彗星の解説

↑昭和31年版「天文年表」のクロンメリン彗星の解説

 「クロンメリン彗星というのは、1818Ⅰ(Pons)、1873Ⅶ(Coggia, Winnecke)、1928Ⅳ(Forbes, 山崎)のことであるので、一時はPons-Coggia-Winnecke-Forbes彗星と呼ばれたが、更に1457ⅠとしてToscanelliの記録にもあり、特に英国のCrommelin氏が詳しく研究したので、近年はCrommelin彗星と呼ばれることになったものである。この星は1928年度には山崎正光氏が真先に独立発見したのだが、通知がおくれたので、一般には認められなかった。とにかく4回も出現しているので、軌道の性格は可なりよくわかっているので、今年度の予報も困難なものではないが、近いうちに必ず英国から発表されるものと思われる。」
 ここで、山本一清博士も言っているように、この彗星は、英国のクロンメリンが軌道を詳しく研究し、自身の名前のついた彗星であるから、必ず英国から回帰予報が出るだろうということである。
 このクロンメリン彗星は、昭和3年(1928)10月28日の早朝、水沢緯度観測所の山崎正光氏によって発見された後、行方不明となった。11月21日になって、アフリカのケープ天文台のフォルベス氏によって再発見されたが、再び謎の失踪を遂げた。クロンメリン博士がこの彗星の周期を28年と決めたのは、実は過去の出現年代から推定したものといわれている。
 従って、英国天文協会の出した今回のクロンメリン彗星の回帰予報も、大きな誤差があって役に立たなかったということだ。それは、観測数が少なく正確な軌道計算ができなかったためとされている。
 しかし、フォルベスが11月21日に再発見してから12月10日までに、少なくとも15個の観測がある。また、1457年の第1彗星(トスカネリ)、1818年の第1彗星(ポンス)、1873年の第7彗星(コギア、ウインネッケ)、1928年第4彗星(山崎,フォルベス)と過去4回の出現があるので、それらの軌道とうまくリンクした計算を行えば、かなり正確な軌道が求められたと思われる。
 現に、山本博士も昭和31年の『天文年表』の中で、
 「とにかく4回も出現しているので、軌道の性格は可なりよくわかっているので、今年度の予報も困難なものではないが、・・・云々」と述べている。
 それが、誤差が大きく役にたたなかったのは、観測数が少なかったためではなく、現在のようにコンピュータあるわけではなく、手計算で行うしかなかったので、正確な計算ができなかったものと私は考えている。
 世界最初の全電気式コンピュータ“ENIAC”が完成したのは1946年の2月で、クロンメリン彗星の帰ってくるわずか10年前である。有名な“IBM 360”が発表されたのは、何とクロンメリン彗星が帰って来た8年も後のことだ。パソコンの誕生する前は、コンピュータはごく一部の専門家しか扱えない機械であった。プログラマーが計算手順のプログラムとデータをパンチカードに書き込んで、コンピュータを操作するオペレーターのところに持って行く。オペレーターはそれをカードリーダーと呼ばれる読み取り機にかけ、計算がはじまる。数時間後、出力された結果を手にするが、それで終わりではない。長いプログラムの中に一字でも誤り「バグ(虫の意味)」があると、コンピュータは思い通りに動いてくれない。プログラマーは、結果を持ち帰って、どこに誤りがあったのかを何日もかけて探し出しカードを打ち直す。そして、再びオペレーターのところに持って行く。そして、期待した結果を手にするまで、この操作を何回でも繰り返す。この一連の操作を「バッチ処理」という。これは、会社でも同じことで、メーカーから派遣された技術者がコンピュータの周りを十重二十重に取り巻いていて、ユーザーは機械に近づくこともできなかったのである。
 8年後でもそんな時代で、彗星の回帰予報も手計算で行うしかなかった。従って、正確な軌道計算ができなかったものと推測される。
 それでは、昭和31年(1956)9月29日にチェコスロバキアのパジュサコバによって、10月6日に関勉さんによって検出されたクロンメリン彗星について、翌年、昭和32年(1957)の『天文年表』にはどのように出ているだろうか。そこには、

(写真)昭和32年版「天文年表」のクロンメリン彗星の記述

↑昭和32年版「天文年表」のクロンメリン彗星の記述

 「1956年中に近日点に帰って来るもののうち、未発見のものはタトル・ジャコビニ・クレサク彗星とクリン彗星とであるが、何れも望みは淡い(理由は1956年の年表にある)、オルバース星とクロンメリン星とが何れも日本で発見されたのは喜ばしい。」とあるだけで、淋しい限りである。
 その上の方の、〔最近年の彗星発見の一覧表〕を見ると、下から2行目、1956h彗星名Crommelinの発見者のところに“Pajdusakove、関勉”とあるのみだ。

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