連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.1 11/13
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2022.3.18

頂いた一冊の本

 平成27年(2015)の11月、高知市の天体望遠鏡仲間の小松雄一さんから一冊の本が届いた。友人がむかし作った本が、まだ出版社に残っているのを見つけて譲り受け一冊送ってくれたのだ。
その本は、『引き継がれるロマン』というタイトルで、「山崎鏡復元奮戦記」という副題がついている。高知県の田中真一さんが代表を務める徳王子天体観測所運営委員会の編纂になるもので、昭和60年(1985)7月25日高知市の「南の風社」から発行されたものである。

(写真)徳王子天体観測所運営委員会編『引き継がれるロマン』

↑徳王子天体観測所運営委員会編『引き継がれるロマン』

 この本は、日本人としてはじめて新彗星を発見し、アメリカ太平洋天文学会からドノホーメダルを授与された、山崎正光氏が長年愛用してきた自作の彗星捜索機を復元した人々の奮戦記である。この本をきっかけに、田中真一さんや山崎正光氏のご遺族の方と田中さん達との仲立をされた、当時佐川電信電話局にお勤めの田村輝雄さんなどと知り合うことができた。

(写真)左より小松雄一、田村輝雄、田中真一、宮地竹史の各氏

↑左より小松雄一、田村輝雄、田中真一、宮地竹史の各氏

 この本の内容は、1928年10月27日の未明(日本時における28日の未明)に、山崎氏が発見した新彗星(後にクロンメリンと呼ばれた彗星)が帰って来るところから始まる。
 徳王子天体観測所運営委員会の人々は、当時高知県で開催された「84高知黒潮博覧会」の協賛事業としてNHKが企画した「ニューメディア展」に展示する宇宙に浮かぶ放送衛星の製作をしていた。5月から実用化に備えていた日本初の実用衛星「ゆり2号」のセットの製作である。
 ちょうどその頃、遠く岩手県水沢市の前沢町で、山崎氏が緯度観測所を退官して株式会社五藤光学研究所に入る際、前沢小学校に譲った10吋(25cm)反射望遠鏡を整備して、山崎鏡とクロンメリン彗星の再会をさせようとしていた人々がいた。一の関「星の会」の阿部義郎、「前沢天文同好会」の長谷川亀一、「水沢星のサークル」の酒井栄、「星の喫茶店」の佐々木一行の各氏である。

(写真)10吋反射望遠鏡が保管されていた小屋

↑10吋反射望遠鏡が保管されていた小屋

 彼らは、山崎氏の同僚で、後に緯度観測所の所長になった池田徹郎が、1955年に岩手新報に書いた「山崎氏の反射鏡」という記事で知ったのである。望遠鏡は、そこに書かれている通り、小学校の一角にある物置小屋のようなところにあり、鏡面は学校の金庫にしまってあった。

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