連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.1 12/13
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2022.3.25

(写真)10吋反射望遠鏡が保管されていた小屋

↑10吋反射望遠鏡が保管されていた小屋

(写真)小屋の中の10吋(25cm)反射望遠鏡

↑小屋の中の10吋(25cm)反射望遠鏡

 上記の2枚の写真は、今から26年程前に、岩手県滝沢市の望遠鏡仲間大川泰彦さんが撮影した写真である。

 彼らは、そこにあった鏡筒と架台(当時緯度観測所の工作課にいた平三郎の製作した簡易的な赤道儀)を整備し、昭和59年(1984)3月3日に「クロンメリン彗星を見る会」を前沢小学校の校庭で開催した。しかし、その夜は、残念ながら薄雲が空一面に広がり、くじら座のミラの西南にいるはずのクロンメリン彗星を見ることは出来なかった。
 一方、高知県の徳王子天体観測所運営委員会の方々は、1984年6月はじめ、同委員会の唯一の主催事業である「星のつどい」の会場下見のため佐川町を訪れていた。会場予定地の虚空蔵山は、佐川町の南部にある標高675mの山で、南に太平洋を、北に四国山脈の山々を眺望でき、山の起伏を利用して「わんぱく広場」を作り、公園として利用されているところだ。佐川町は、田中真一の生まれ故郷であり、虚空蔵山は思い出の場所でもある。国鉄斗賀野駅から歩いて1時間ほどで行ける、「星のつどい」の会場としてはうってつけの場所であった。
 会場が決まると、「星のつどい」を盛り上げるために、これに先だって天体写真展と観望会を開催することにした。そこで、写真店の会場を探していると、「電電のミニギャラリー」はどうかとの助言があり、佐川電話局を紹介された。早速、局に行くと40半ばの男の人が迎えてくれた。その人は田村輝雄さんといったが、既に趣旨が伝わっているのか、話を切り出す前に「どうにでも適当に使ってください」と言われた。そして、天体観測は局舎の屋上で行い、オレンジルームでスライドをしてはどうかと、話はとんとんと進み、7月の初めに、ここで天体写真展と星空観望会を開催することに決まった。
 話が一段落すると、田中さんは、山崎正光氏のご遺族の方は今どうされているのですかと訪ねてみた。すると、田村さんが「九反田の山崎さんだろうか」とポツリと言った。こうして、山崎正光氏の次男の明さんが尾川小学校で先生をしていること、奥様の恒子さんが佐川郵便局に勤めていることが分かった。そこで、6月9日に、田中さんと田村さんたちは山崎明さん宅を訪れ、山崎正光氏の遺品を発見したのである。その中に、口径20cmの彗星捜索用望遠鏡の部品もあった。

(写真)発見された山崎正光氏の遺品

↑発見された山崎正光氏の遺品

 その後、徳王子天体観測所運営委員会の人々は、発見された望遠鏡の部品と、失われた部品は新たに製作して、口径20cmの山崎式コメットシーカーを復元した。その奮戦記が『引き継がれるロマン』という本である。

(写真)復元された山崎式コメットシーカー

↑復元された山崎式コメットシーカー

 その本を読んだ後の2016年頃、望遠鏡の部品以外の遺品で、星図や書籍、観測ノートなどはどうなったのだろうかとふと思った。そこで、ご遺族の方々は今どうされているのか、高知の望遠鏡仲間に聞いてみた。すると、次女の恵子さんは病院に入っているようだが、とても会話できる状態ではないという。その他のご遺族の方々は高知県を離れてしまい、今、どちらに居るか分からないということだった。それもそうでしょう、2016年当時、ご健在であれば長男の健臣(たけおみ)さんが93歳で、次女の恵子さんが89歳、次男の明さんが86歳と、みなさん相当なご高齢である。また、山崎正光氏の兄が本家を守っていたが、昭和18年(1943)に亡くなったので、長男の健臣さんが養子に入り本家を継いだので、山崎正光氏の家は、次男の明さんが継いだ。
 それから、徳王子天体観測所運営委員会が、山崎式コメットシーカーを復元する時にお借りした遺品の数々は、『引き継がれるロマン』が完成した後、明さんの方にお返しした。従って、それもどうなっているか分からない。ただ、その時、本や雑誌、ノート類はコピーを取り、それを某所に保管してもらっているという。そこで、もし可能ならば、それらの資料を見せていただきたいとお願いしておいた。
 前にも述べたように、『引き継がれるロマンの中に、「山崎氏の同僚で緯度観測所の後の所長、池田徹郎氏の書いた「山崎氏の反射鏡」(1955年、岩手新報)を入手し、その所在を知ったのである」とある。また、そのつぎのページに、「山崎鏡とすい星の“再会”を 28年ぶりの“里帰り”遺品の望遠鏡で観測」という岩手日報の写真が掲載されていた。そこで、それらの新聞記事が見られないかと思い、2016年11月に岩手県滝沢市の望遠鏡仲間大川泰彦さんに調査を依頼した。
すると早速返事がきた。

1.新聞記事について
〇昭和30年の池田氏の岩手新報の「山崎氏の反射鏡」記事について、岩手県立図書館を
  訪問して調べたところ、岩手新報という新聞は昭和21~30年に盛岡市で発行された
  小規模な新聞社で、当時の新聞は一部しか保存されておらず、当該記事は発見できません
  でした。
〇昭和59年岩手日報記事は、マイクロフィルムからコピーすることができましたので
  同封します。

2.昭和59年の観測会のメンバーの消息について
〇「水沢星のサークル」酒井栄氏と「星の喫茶店」佐々木氏は現在もそれぞれの会の代表を
  しており、私もお目にかかったことがあります。
〇「一関星の会」阿部氏と「前沢天文同好会」長谷川氏は面識がなく、現在も天文活動を
  しているかどうか不明です。
〇このうち「水沢星のサークル」酒井栄氏に電話して、当時のことを尋ねてみましたが、
  記憶が曖昧だとのことで、阿部氏、長谷川氏とはその後あまり交流はないとのことです。
〇なお、これら天文サークルは、盛岡市子ども科学館で代表者の連絡先がわかりますので、
  代表者を通じて調べることができるかも知れません。

  調査の結果は、以上の通りでありました。
(2016年11月14日付の大川さんからの私信)

(写真)大川さんが送ってくれた昭和59年3月2日付の岩手日報

↑大川さんが送ってくれた昭和59年3月2日付の岩手日報

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