連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.1 3/13
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2022.1.21

 さて、この電報を受取った時、彗星はかなり早く南に去っているから、日本でも南部でなければ見えない。京都と東京では、ただちにこの電報によって計算した位置を探したけれども彗星は見つからなかった。ただ、京都大学の学生の村上忠敬が、カラス座第6番星の南に星雲状のものを見たのが、後日この彗星であることが分かっただけである。この事について村上忠敬は、昭和12年(1937)8月発行の図説天文講座第7巻『観測機械と天文台』恒星社厚生閣刊に、「筆者も嘗つて1928年フォルベス彗星の発見のとき、大学の7吋望遠鏡でこれを明方の淡白い空に予報の位置を少し離れた所に観測し、位置測定の暇がなくて視野の写生だけをしておいたことがある。これは我国では他に誰も観測した人は無かったが、後報告の電文に誤りがあった為め予想された位置になく、筆者の観測は正しいものであったことが判明した。」とある。
 ところで、フォルベスと山崎の両氏の見た彗星が、同じものかどうかは、軌道を研究してみないと分からないと言うことになった。
 12月になって、コペンハーゲンの万国天文協会から11月24日と25日のアルジェー・リックとヤーキースにおける観測と、11月23日、24日、25日のリック天文台の観測から、米国カリフォルニア大学バークレー天文台で計算した放物線軌道要素が発表された。ただ、23日の観測は不確かであるから軌道は十分に信頼することができないと付記してあった。その軌道要素は、

1928C(フォルベス彗星)
  計 算 者 = Berkeley
  近日点通過(T)= Oct. 28.93日
  近日点引数(ω)= 188°47′
  昇交点黄経(Ω)= 260°36′
  軌道傾斜各(i)= 30°46′
  近日点距離(q)= 0.775

というものだった。ただし、23日の観測位置は未発表。
バークレーでは、この軌道が1911年第5のブルックス彗星の軌道に似ていると発表した。

1911年第5ブルックス彗星
  計 算 者 = Kuhne
  近日点通過(T)= Oct. 27.74日
  近日点引数(ω)= 153°01′
  昇交点黄経(Ω)= 292°57′
  軌道傾斜各(i)= 33°48′
  近日点距離(q)= 0.4891
  離 心 率(e)= 0.99704
  周   期(P)= 2100年

しかし、東京天文台の神田 茂は、ブルックス彗星は放物線軌道だから同一のものではあり得ないとしている。なるほど、大正13年(1924)12月発行の自身の著書『彗星』古今書院では、周期が2100年となっている。

(写真)神田茂著『彗星』に掲載されたブルックス彗星の軌道

↑神田茂著『彗星』に掲載されたブルックス彗星の軌道

ともあれ、このようなことから類似の軌道を持つ彗星が他にないか調べることになった。
  イギリスの彗星研究の権威クロンメリンは、1873年第7のコギア彗星と軌道が似ており、同一のものではないかと発表した。
  1873年第7のコギア彗星は、同年11月10日にマルセーユのコギアと、ストラスブールのウィンネッケが別々に発見したもので、光度は非常に弱く、ウィンネッケの11月16日の観測が最後である。しかも、11月10日の詳しい位置が発表されていないので、わずか6日間の観測から軌道の研究をしなければならなかった。
軌道について詳しく研究したのは、ワイスとシュールホッフの2人で、その軌道が1818年の第1彗星と似ていることを発表した。1818年の第1彗星は、同年2月21日にマルセーユのポンスが発見したもので、光度が弱く、同年27日まで観測されただけのものである。
  ワイスとシュールホッフは、1818年第1と1873年第7の2つの彗星が同じものであることを認め、周期は55.8年かその分数であると考え、ワイスは周期55.82年、18.607年、6.202年、2年、6.9775年の仮定のもとに軌道を研究した。ところで、古代の彗星でこれらの彗星と軌道が似ているものに、1457年1月の彗星があることをシュールホッフが指摘した。
  1457年といえば、日本は室町時代で、将軍の足利義政が現実から逃れるために、酒宴・連歌会をくりかえし、「十度飲み」とか「鶯飲み」などといわれた時代である。隣りの中国は明の時代で、彗星が景帝景泰7年12月甲寅(1457年1月14日)畢宿に現われ、長さ五寸南東に動き、次第に長さを増し、癸亥(1月24日)に至って消えたとある。これでは軌道は決められないが、ヨーロッパには1月23日から27日まで詳しいトスカネリのスケッチがフローレンスの図書館に残っており、イタリアのミラノ天文台のセロリアがその23日、25日、27日の観測から放物線軌道を計算している。
  神田 茂は、1457年、1818年、1973年の彗星が同一のものと仮定すれば、56年の周期では都合が悪く、その半分の28年弱であれば都合が良いとし、1457年の彗星は軌道面の傾斜がやや小さく、あるいはビエラ彗星でないかとも考えられるとしている。神田は、後にそれらの軌道要素を表にしている。

(写真)山崎フォルベス彗星の軌道要素

↑山崎フォルベス彗星の軌道要素

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