更新日 2022.1.28
また、ハイデルベルク天文台のW. バレンティナー博士が編集し1902年に発行した、「HANDWORTERBUCH DER ASTRONOMIE(天文学ハンドブック)」から、1457年第1(トスカネリ)彗星、1818年第1(ポンス)彗星、1873年第7(コギア)彗星と、興学会出版部発行の『東洋学芸雑誌』昭和4年3月号掲載の表から、クロンメリンが最初に計算した軌道要素を以下に示す。ただし、天文学中辞典の軌道要素の内、近日点距離qがその対数log q で表されているので、それを変換して掲載した。
↑HANDWORTERBUCH DER ASTRONOMIE
1457年第1(トスカネリ)彗星
計算者: Celoria
近日点通過(T)= Jan. 17.9859日
近日点引数(ω)= 194°54.2′
昇交点黄経(Ω)= 249°39.3′
軌道傾斜角(i)= 13°15.7′
近日点距離(q)= 0.7033
1818年第1(ポンス)彗星
計算者: Hind
近日点通過(T)= Feb. 3.2245日
近日点引数(ω)= 180°17′
昇交点黄経(Ω)= 256°01′
軌道傾斜角(i)= 34°11′
近日点距離(q)= 0.6959
1873年第7(コギア)彗星
計算者: Schulhof
近日点通過(T)= Dec. 1.39643日
近日点引数(ω)= 195°38′50″
昇交点黄経(Ω)= 250°27′02″
軌道傾斜角(i)= 29°54′54″
近日点距離(q)= 0.7326
1928年C彗星
計算者: Crommelin
近日点通過(T)= Nov. 7.0404日
近日点引数(ω)= 208°48′45″
昇交点黄経(Ω)= 239°50′35″
軌道傾斜角(i)= 28°39′26″
近日点距離(q)= 0.7473
ただし、1873年第7彗星は計算者が違うので神田の表とは異なるので注意が必要である。これらの彗星は、みな同じ彗星と考えられるので、神田は、ポンス・コギア・山崎・フォルベス彗星と呼んでもよいが、これではあまりに煩わしいから、今後この彗星はポンス・コギア周期彗星と呼ばれるであろうと思う。しかし、今回の出現に対しては、山崎フォルベス彗星と称して一向に差支えないと述べている。
つぎに、神田 茂が『東洋学芸雑誌』に掲げた山崎フォルベス彗星の2月までに発表されている軌道要素は、下記の通りである。
↑『東洋学芸雑誌』昭和4年3月発行
↑山崎フォルベス彗星の観測
表中、観測時は万国時(グリニジ常用時を日の少数で表したもの=UT)、赤経・赤緯は1928.0分点である。また、これまで発表されている山崎フォルベス彗星の軌道要素は6個。それと、前記の1457年、1818年、1873年の彗星およびビエラ彗星の要素を記した表である。
↑山崎フォルベス彗星の軌道要素
軌道要素の分点は、ビエラ彗星は近日点通過の時の値、その他は近日点通過の年の初めの値である。
これらの軌道要素のうち、山本博士の計算したものは、一番長い観測をもとにしているが、観測はどれも概略のもので、十分信用できるものではない。他の5つは、いずれも11月下旬の数日間の観測から決定されたもので、かなりの程度で計算位置と観測とが一致しているはずである。そして、山崎氏の観測した時刻に対する位置を軌道要素から計算している。
第1の要素は約5°南
第3の要素は約1°南
第4の要素は約10分の1°南
第5の要素は約16°北
その結果、第4のクロンメリンが最初に計算した要素が最も実際に近いようだ。もっとも、以上の計算は放物線軌道と仮定しての計算で、周期が50余年とすれば角度の数分程度の相違を来すであろう。
最も確からしいクロンメリンの最初の軌道要素をとり、周期を55.4年と仮定し、近日点距離に少し修正を加えて、再び山崎氏が発見した時の位置を計算してみると、赤経で20s、赤緯で0.5′だけ観測との差があるだけになった。その同じ軌道で12月9日のヤーキースの観測とは、赤経で約30s、赤緯3′の差である。そこで、この軌道が相当に実際に近いものであることが分かり、山崎氏発見の彗星がフォルベス彗星であったことが証明されたのである。また、同時にこの要素は、1873年第7彗星(コギア彗星)の要素と非常によく似ていることから、同一彗星であることは確かである。残る問題は、周期が55年なのかその分数なのかということであるが、昭和4年2月7日現在、山本博士は「目下調査中」としている。
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