連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.2 3/4
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2022.4.22

 右側を見れば、モヤの為に充分見えなかったが、だんだん晴れてくるに従って、小高い丘の上に四、五階の家が建ち並び急坂の町が美しく見えた。左側には高い山があり、湾内には四本マストの太い帆船がいくつもとまっていた。ランチで役人が船に着き検疫があり、続いて一人一人一室に呼ばれて移民官の試験がある。日本語のよくわかる役人の前に立つ。かねて英語で答えると受けがよいと言うことを聞いていた。
   あなたのおなまえは?
      My name is Masamitu Yamasaki.
   あなたのもくてきはなにですか?
      I want to go to school.
   あなたはどうしてせいかつなさいますか?
      My brother will send me fifty yen every month.
   おかねをもっておりますか。
      Yes, Sir. この時50ドル出して見せる。
   よろしいです。
 これでいよいよ入国許可。最後の関門を通過してうれしかった。船は再び動き出して右に廻って進むと、おびただしい埠頭があり、大小の船の往来がはげしい船の横腹に水車のあるもの、又とも(艫=船尾)に水車の付いているものなどとても面白い船が往来していた。あれはサンフランシスコと対岸を結ぶ渡し舟であるとのことであった。しばらくして大きい桟橋につき下船が始まる。日本人宿屋の客ひきがくる。荷物の検査が終ると自分たち四、五人は、再渡米の米本氏につれられて日本人基督教会の宿舎に案内してもらった。マーケット街を通った時に、其道路の広いこと、建物の高くて大きいことにおどろいた。
 さて、移民官の前では毎月兄が五十円送ってきますは御あいさつで、いよいよ自活の道を見出さねばならぬ。二日くらいして米本氏につれられ、日本人口入屋(桂庵)と呼ぶ所を五、六ヶ所教えられ、適当な働き口を見付けることであった。学校へでも行きたいと言う人にはスクールボーイと言う口があった。白人の家庭に入り朝夕二時間位づゝ手伝い、昼の弁当をもらって出て、夕方四時頃まで自分の自由であった。それで一周一弗五十仙の給料であった。自分も此仕事を二、三ヶ所つとめた後、ホテルの皿洗の仕事についた。之は大きいホテルで、日本人コックやボーイが五、六人いた。月日は流れて早くも四月十八日となった。自分達は此ホテルの下層に部屋を与えられていたが、此朝五時頃不意に家がゆれるのに目がさめて見れば大地震であった。やっとのことに出口にたどりついた時に一旦地震は止んだ。外を見れば家の上の方のレンガが落ちているので、外出は危険だと気付いた。又つづいて相当ゆれた。人々の叫ぶ声も聞こえた。続いて何回となくゆれる。ガスや水道も止まったので食事もできない。屋上に出て見れば四方八方に火事が出て居る。そこで我々日本人同志はいっしょに避難することになり、毛布と少しばかりの手荷物をもち、先づ台所にてパンや卵を食い又それをいくつかポケットに入れ、コップ一ヶも用意して外に出た。こゝの道路はマーケット街と同じ位巾広く、住宅地であったからレンガの落ちる心配はなく、道路には10cm位の巾のわれが通っていた。小高い丘に上って見れば下町は一面の煙となっていた。マーケット街のコール新聞社の十六階ビルに火が入って、やけるすがた等恐ろしいながめであった。自分は全く不案内であるから皆について歩く丈であったが北の方の海岸に向って歩くとプレデシオの兵営地へ出た。大勢の人々がひなんしている中を兵士が鉄砲を持って整理していた。
 ここは練兵場らしく、広い原であった。第一夜は此原で野宿した。翌朝皆が列を作ってパンと水をもらった。其中にこゝから対岸のオークランドに船が出るから誰でも自由に乗ってよいとのことで、自分等もそれでひなんすることにした。
 自分は何よりも先づ先輩について行動しなければ、はぐれては大変だとそればかり気にして歩いた。船の出るまでは相当時間はかゝったが、出ると三十分位で対岸につく。汽車が待っていたので、先輩が田舎のフロリンへ行くと言う。ここは日本村とまで言われた日本の百姓さんの沢山居る所である。三時間位の汽車旅行の後、夕方フロリンに着き一日本人の家へ案内してもらいやっとおちついた。

↑サンフランシスコ・オークランド・サクラメント

 時はちょうどイチゴの時季で、人夫がいる時で自分ともう一人が近くの日本人の家へやとわれ、イチゴつみをやることになる。広い畑に大きいイチゴが赤くなっていた。そこで一ヶ月位働く。
 時あたかも春の最もよい季節で野には一面黄金色のカリホルニアポピーという花がさき、ひばりはさえづり牛は鳴き、遠くを幾十輛もつらなった貨物汽車がかねをならして走るなど、実にうららかな田園の風景に接した。聞けばカリホルニア州庁のあるサクラメント市は近くにあるという。此町には中学二年の時ここに在住する兄さんに呼ばれて渡米した秦(ハタ)と言う友人がいたので、その友人に会いたいとかねてから願っていたので、イチゴの仕事の終わったのを幸いサクラメント市に出た。

↑サクラメント・フロリン


 本コラム「異色の天文学者・山崎正光(第一部) No.2」について『本記事の掲載にあたり転載した資料の中には、一部、現代では不適切な表現が見られる部分もありますが、資料的な意義を考慮し、そのまま掲載させていただきました。ご了承いただきたい。』との記事筆者注が本コラム1/4冒頭 はじめににて記されております。


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