更新日 2022.9.30
つぎに、山崎氏が昭和3年(1928)10月27日(UT)に発見した彗星については、「異色の天文学者・山崎正光 No.1」に詳しく述べたが、『科学画報』の昭和4年(1929)3月号に「問題となった山崎彗星」のメインタイトルの下に、「山崎彗星発見の経路」の小タイトルで山崎氏自身が書いている。また、同じところに、東京天文台技師で理学士の神田 茂氏も「山崎彗星とコギア彗星」の小タイトルで書いている。
↑『科学画報』昭和4年3月号
また、山崎氏は「このすい星に関しては、1928年の時には、神田茂氏が東洋学会雑誌45巻三月号に報告し、・・・」と書いているが、書名は『東洋学会雑誌』ではなく『東洋学芸雑誌』であるので訂正しておく。
↑『東洋学芸雑誌』昭和4年3月号
また、No.1にいろいろ書いた1457年第1(トスカネリ)彗星や1818年第1(ポンス)彗星、1873年第7(コギア)彗星など、古い彗星の軌道要素は、大学教授でハイデルベルク天文台の天体観測部長のW. バレンティナ博士の編集による『HANDWORTERBUCH DER ASTRONOMIE(天文学ハンドブック)』によった。
↑バレンティナ博士の『HANDWORTERBUCH DER ASTRONOMIE』
また、それぞれの軌道要素の出ているページを示す。
↑1457年第1(トスカネリ)彗星
↑1818年第1(ポンス)彗星
↑1873年第7(コギア)彗星
クロンメリン彗星の軌道要素は、神田 茂著の岩波講座 物理学及び化学 宇宙物理学 Ⅱ. B.『彗星と流星』岩波書店 昭和5年(1930)5月 発行に、「Pons-Coggia」の名で掲載されているので参照されたい。
↑ポンス-コギア彗星
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