連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第二部) No.1 4/9
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2023.1.27

 ここで、五藤光学研究所と東京朝日新聞社の日食共同観測隊の隊員と装備について詳しく記しておく。

≪組織≫

   

総 指 揮:

五藤光学研究所長

五藤齊三

   

学術指導:

水沢緯度観測所技師

山崎正光

   

同 上 :

理学士

村上忠敬

   

撮  影:

新興キネマ会社技術部

三木 茂

   

同 上 :

朝日新聞映画班技術部

林田重雄

   

録  音:

PCL技術部

近藤健郎

   

無線及時間:

五藤光学研究所技術部

五藤隆夫

 外に、各部助手名合計14名からなり、今回の観測隊中においてその規模の大きなものの一つである。

≪装備≫

(1)  1,150mm F15の望遠レンズを取付けたバルボ撮影機2個を同架した運転時計付赤道儀 1台。
この一方は、1秒1コマの遅速度撮影を行う特殊装置で、日食の第1接触から第4接触までの全経過を一巻のフィルムに収めるもの。
他方は、1秒24コマの普通回転で、内部コロナとプロミネンスを皆既時間中に撮影するもの。

(写真)バルボ撮影機2個を同架した運転時計付赤道儀

↑バルボ撮影機2個を同架した運転時計付赤道儀

(2)  700mm F7 の望遠レンズを取付けたベル型撮影機1個を装備した手動赤道儀 1台。
これは、1秒16コマで外部コロナを撮影するもので、比較的明るいレンズを装備した。

(3)  317mm F5.6 の望遠レンズと対物レンズを取付けたバンベルヒ撮影機を装備したPCLトーキー撮影機 1台。
これは、第1接触と第4接触の時のコンタクトと、第2接触と第3接触におけるフラッシュ・スペクトルを、トーキーと同時録音によって撮影するものである。また、フラッシュ・スペクトルの撮影に使われる対物プリズムは、角度47°で、C線よりG線までを13.5mmに分散するように計算されたものである。

(写真)バンベルヒ撮影機を装備したPCLトーキー撮影機

↑バンベルヒ撮影機を装備したPCLトーキー撮影機

(4)  20cmシーロスタットで撮影される5mコロナグラフ 1台。
これは、時計で運転される直径20cmの平面鏡のシーロスタットと2枚合わせで焦点距離が5m F50の写真レンズで、直径47mmの太陽像によりコロナを撮影するものである。
下の写真は、上記のコロナグラフで撮影されたコロナの写真。

(写真)シーロスタットとコロナグラフで撮影

↑シーロスタットとコロナグラフで撮影

(5)  300mmポートレートレンズを取付けたキャビネ型普通写真機 1台。

(6)  400mm望遠レンズを取付けたライカカメラ 1台。

(7)  7球式長波無線受信装置 1台。

この装置は、当日東京天文台より特に学術時報毎秒の発信を受信し、これをトーキーに音として入れる装置である。

(8)  電気装置を有するクロノメーター 1台。

(9)  2本ペン式クロノグラフ 1台。

 これらが、隊員14名と共に現地に到着したのは日食の僅か1週間前で、徹夜作業を続けて準備したのである。
それには、つぎのようなことがあった。
三木茂は、元東宝の前身だったPCRの社員で、五藤齊三がPCLと付き合うようになったのは、三木が日食に使用したカメラが縁である。三木が撮影した「滝の白糸」という映画が大好評で、一躍有名になった人物である。当時、カメラ界で撮影技師の天皇と言われた林田茂雄はその弟子である。PCLが原節子を主演にした「土」という映画を製作したが、この映画はドイツ人監督アーノルド・ファンクが、日本にはなかったズームレンズを初め、いろいろな機材を持ち込んで特殊撮影したもので、出来た映画は大変な人気であった。映画の完成後、それらのレンズと機材一切をPCLが10万円で買い取った。そこで、五藤齊三が週に1度PCLにかよって光学技術の講習を行い、それらを日食観測用に改造し多数の装置を製作したのである。それに、さらに10万円を要したが、その成果あまりのも有名になったので、各大学から引き合いがあり、十分成算に乗る結果を得たのである。


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