連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第二部) No.1 6/9
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2023.2.10

≪五藤隊の成果≫

(写真)プロミネンス(5mコロナグラフにて撮影)

プロミネンス(5mコロナグラフにて撮影)

1.  三木茂が操作した内部コロナとプロミネンス用カメラは、一部雲に覆われたものの、実の見事な日食の経過が撮影されており、皆既前後のプロミネンスの状態などもいろいろ研究に使用されるものと思われる。

2.  第1、第4接触の時刻と、第2、第3接触のフラッシュ・スペクトルの撮影は、第1接触の時刻は雲のため上手く行かなかったが、その他は見事に成功した。

(写真)フラッシュ・スペクトル

フラッシュ・スペクトル

 6月20日 朝、主なるところにお礼に回る。1時50分の汽車で、村の主なる方に見送られて、汽車に乗る。遠軽にて乗り換え、晩9時、上川に着く。駅前の宿屋に泊る。

 21日 朝9時、バスにて層雲峡に行き、2時の汽車で旭川の方に行く。自分は、クロノメーター1つと9 1/2mmシネカメラだけを持つ。岩見沢で菊池君と別れ、自分は9時、札幌に着き泊まる。
 22日 朝、真駒内の種畜場と定山渓を見て、5時の汽車で函館に向い、23日の2時無事水沢に帰る。
これにて日食観測を終わる。

思い出
 自分等の観測隊が、興部小学校に着き、テントを張り、朝日の旗を立てた。この場所は、汽車の窓からよく見えたので、14日ごろから見物人が毎日だいぶあった。それに、雄武の上田キャンプに行くには、是非、この興部で乗り換える。その間に、時間があるので見物も多い。主なる訪問者は、
網走支庁長 岡田氏、木村博士、K.平山(清次)博士、平山(信)博士は12日の日食を我がグループで見るべく、再び名寄から来たらしい。
京都 山本夫人、柴田理学士、古畑君、
東京 辻技師、
新聞記者達

日食の日は、火事のあったため、町の消防が庭に水まきをしてくれた。
時間になるころ、たくさんの見物人が押し寄せた。縄張りをして、その外で見せる。町の主なる方も、学校の庭に集まり、コロナを見て喜ぶ。
興部は、はじめ京都の上島君が来ることになっていたが、上島君が亡くなったので、誰も来ないと思って、村の人達は淋しかったが、自分の観測隊が来たおかげで、大変元気付いたようである。ことに、村長は大変喜んでいた。それで、自分等も大変歓迎せられて、愉快に観測したことを感謝する。
大西教頭は香川県の方、奥さんは土佐の方とのことで、いろいろ話をなし親密になる。
秋沢さんの開墾の思い出など、大変おもしろい話しがあった。
1-2年前から、京都の山本博士は、北海道の日食には1,000,000人の人が来るというような、夢のようなことを誠の如く言いふらし、そのため、網走などでは立派なホテルまで建てた。
また、上斜里へも日食の日には、10,000人の人が来るであろう、などと言うものだから、土地の商売人は餅や煎餅をたくさん作り、村はまるでお祭りのようにして用意したところ、殆んど誰も来ないという有様、可愛そうな法螺である。

 7月11日、晩の汽車で東京に行き、12日、木村さんの家で朝日の日食フィルムの研究の相談あり。五藤君がフィルムを持って来た。コロナとフラッシュは、とても良いものである。研究は、自分にまかすことになり、午後ともに浅沼写真商会に行き、焼付をともに、また見る。

 13日 昼、朝日新聞社に行き、黒い太陽の題で出来たフィルムを見せてもらう。大変興味あるものである。近く一般に見せる筈である。
夜は、五藤君の家でフィルムの研究にかかる。
フィルムは、五藤君が映すとのことで残して、
 7月15日水沢に帰る。
Nova Lacerta(とかげ座新星)
 6月19日 北海道日食にあった古畑、黒岩、五明の3人は、幌延で新星を見つけたとの電報あり。
19日の晩、自分等は、荷物を作って宿に帰り電報を受取る。星図も何もすべて荷造りしたので、十分に場所が分からなかったけれども、α Cygの北に2等星があったのが、確かにそれと思った。この位置は大変見つけよい場所であるから、18日の晩、北海道が晴れたため見えたものである。

6月23日、 晩に日食の乾板を現像す。天が明るかったため、何れもオーバーで、かぶっている。

(写真)

(写真)

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