連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第二部) No.1 8/9
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2023.2.24

 10月5日 この日、東京天文台より、新星発見の電報あり、
α= 18.5h     δ= -35° 発見および位置確かならず。確かめられたいとのこと。

 5日の晩は、雲のため見えず。
 6日 この晩少し晴れた。ちょうど新星の場所が-30°より南に雲があり、且つ、地平線に近いので写真は撮ったが明らかでない。光度5等くらいのもの見えるが、星か乾板のキズか区別ができない。

 7日から新星らしいもの見えずと報告す。この報告のすぐ後で、位置の訂正の電報が来た。
(7日) α= 18h 5m
この場所には、前に述べた疑わしい星のイメージがあるのであるから、やはりそれが新星らしい。もう一度はっきりした写真がいる。
これによって、大いに観測の方向を変える必要を認む。それは、星をチェックするためのときは、必ず8cmとランタンカメラを用い、同じ場所を撮るようにせねばならない。
今までは、いつも一つであったため、疑わしいイメージのとき、チェックすることが出来なかった。

 7日 この晩 薄く晴れたので、写真を4回撮る。写真が撮れるようになったのは、二月目である。
どうも今年は天気が悪い。

 8日 この晩は、完全に晴れた、その間に写真4回撮る。この晩は、月(月齢)21.8日であるのに、10時になれば早や東に出る。Harvest moon(収穫月=中秋の名月)のときは、月明かりが長くて困る。
いて座 新星の場所の写真を2枚撮る。
新星は、#L21 の写真と比較するに、L21には光度11等くらいの星として出ている。
また、ユニオン天文台の写真板 No.110、1875年分点、フランクリン・アダムス 1912年6月21日のものにもやはり10-11等星として出ている。

位置    

1875 18h 0m 35.5s -34°21.8′

 

CD -34.12514°(9.7)

という星と同じではないかと東京天文台の神田氏のお手紙、なお、東京では10月5日より11日まで引き続きくもりて見えない由。

 10月9日 晴れ。写真4枚。新星は雲のため見えず。

 10月10日 晴れ。写真は休む。

 10月11日 晴れ。写真4枚。新星は雲のため見えず。
露が多くレンズ(8cm ○○)曇る。それがため早くやめた。
乾板はO-1200 とJlfordとを比較するに、Jlfordには“sky fog(空の霧)”が出てもO-1200には出ない。O-1200はJlfordよりやはりだいぶ遅い。

 10月14日 10月12日付け神田氏のお知らせでは、いて座新星は、CD -34.12514ではなく、これに接近して北西にある星。ユニオン天文台の写真板 #108 には微かに出ている。光度は13等より暗い。

(写真)

(写真)

(写真)

 10月21日

Nova Tamm 17070 October 00000

 

19235 20725 57030 Stromgren.


     

わし座新星   

10月17日0時  光度7等

 

 

α= 19h 23.5m δ= + 7°25′

 

1855分点

19h 19.5m + 7°18.1′


 10月22日 自分が10月6日に撮った乾板 #451 は、
δAql(わし座δ星)を中心にしてあるので、この新星があるべき場所が入っているから調べたところ、ちゃんと新星が出ている。光度7.5等くらい。
BD + 7.4130°(7.3等)よりも少し薄い。
この場所は、わし座新星 #5のところを撮る目的であったのである。雲のため乾板が薄いから、よく調べなかった。早く調べたら Tammよりも11日も早く発見するのであった。

(写真)1937年10月 7日 8h 37m

1937年10月 7日 8h 37m

(写真)

 上のはがきは、誰からのものか分かりませんが、
拝復 御手紙拝見致しました。
射手座新星及び鷲座新星
写真五つあり難く存じました。
麻布の写真では九月廿五日に六等星だ
そうです。最近の観測では、八等半
前後の様であります。
十月二十五日
とあるようです。

(写真)

(写真)

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