更新日 2023.10.13
掲載者注① 本記事において、原文中判読困難な個所については「赤文字」、判読できなかった文字については「〇」、また執筆者による注釈は「青文字」としています。
◇昭和15年(1940年)
1月21日 これまで引き続き -10°以下であったものが今朝は、
1月21日 -21.2° 観測 -14.4°~ -18.6°
1月22日 -21.4° 〃 -15.7°~ -20.0°
となる。
1月26日 -17°
ほとんど毎晩-15°くらいである。
新聞によると、大連も凍ったそうな、大連の氷は16年目の由。
ウラジオストックまで50マイル(約80km)の沖まで凍っておるそうな。
3月25日 この朝、7時10分の汽車で建臣(長男:たけおみ)、明(次男:あきら)を連れて、東京に行く。建臣の学校の都合もあり、25日の晩、日光のおおくらや(大倉屋)という宿に泊まり、26日に東照宮と中禅寺湖を見て、晩8時半ごろ東京の目黒の大崎さんの家に泊まる。
夜11時ごろ電報あり、建臣が盛岡高等工業学校にとれた知らせである。大変嬉しかった。これで建臣を東京におく必要もなくなり、明るい気持ちで見物をなす。
27日 五藤光学に行く。専務の山脇さんは、自分がアメリカで知った人で、話しが弾む。
28日 鎌倉、江の島、横須賀を見た。横須賀では三笠館に入り日露戦争を偲ぶ。29日動物園。
30日 東日の天文館(プラネタリウム)を見る。この晩6時45分の汽車で発つ。この汽車は、幸いにあまり混まなかった。これで建臣がための祝いの気持ちを済ます。
4月14日 この朝、役所の古い玄関の所の雪消えた、平年並み。
4月17日 役所の庭の梅が咲き始む。
4月21日-22日 夜の雨は寒く、山は一面にだいぶ雪積る、寒い、杏の花もまだ咲かない。花は平年よりもだいぶ遅れた。
(ローマ字)
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(漢字仮名混じり)
5月11日-12日 気仙郡高田地方へ旅行。気仙川岸の奇岩、ホルンヘルスを見、長円寺に行き隕石落下跡と隕石を見る。
小友駅より徒歩にて獺沢に到る。獺沢には貝塚ありとのことなるもこの様なものなし。唯、石鏃類はありて仙台の大学より度々採集に来ると。尚も歩行しつづけ泊迄三里位歩む。泊には貝塚あるとのことを聞きて行くも左様なものを見ず。小さき港なり。鰯の類を干している。この前の津波の時はこの海岸一体の人家はさらわれ今健てるものはその跡に新しく出来たものなりと。護岸工事のコンクリートの大塊など無残にも破壊されて残っている。後にて聞けばこの泊の2、3丁先の方へ行けば貝塚がある由。遂にそれを見ず。この地方の人は言葉が通ぜざるか何を問うても要領を得ず。泊より小友迄自動車便ありたり。僅々30分位にてつく。日報新聞記者佐々木氏の話によれば、貝塚は細浦 下船渡、に行けば沢山あると。この地方の海岸は海縁り急勾配で田畑多からず。又部落には津波時は高所に行けと標柱を建てあるを見るも、何だか津波地方を思わせる。
7月5日 4日の晩晴れた。観測後1時より2時半迄、6インチ鏡を用い彗星を探ぐる。この6インチ鏡は日食の時、北海道へ持ち行きて日食写真を撮りしものなるが、眼視用としてこの頃アイピースを取り付けた。焦点1インチ(25mm)にて視野3度ある。彗星を探るには甚だよい。
図の如く、簡単なマウンチングを作り、野外に自由に取り出せる。軽便であるからいつでも使用できる。
8インチ鏡の方は屋根が開かなくなったので休み。この6インチ鏡は相当コマあり、球面収差もだいぶあるが使用出来ないことはない。この朝、星雲に随分出合った。F : 3.3というのであるから、19倍の倍率となり、視野3度で彗星を探ぐるに甚だよい。
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