連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第二部) No.3 3/8
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2023.10.27

◇昭和16年(1941年)

 1941年1月2日 雲を通して写真を撮る。あまりはっきりせず。尾も2°くらい写る。

全体、夕方西の地平線上に雲ありてよく見えず。雑誌天界2月号によれば、一番よいのは1月10日より15日迄であるが、この時ちょうど月が満月に近いのと地平線にあるので、この地方ではもはや見れない。これ以後は朝見えるが、南半球の人々の観測にのみ適す。長い間、赤経は19h-19.5hの間で、南へ南へと去りて行ったので、北半球でも充分長くよく見えた。
1月10日頃には、太陽と内合す。その時の距離太陽-彗星 0.38天文単位(1450万里)彗星-地球 0.6 天文単位(2300万里)の近距離となり大いに発達すべきものなるも、今迄の状態ではあまり大きなものにはならず中位の彗星として去るらしい。

 1月7日  午後5時  木星、土星、月が正三角をなしたのが見えた。離隔2度くらい、各天体のその時の位置 次の如し。

(写真)

    木星    α= 2h 15m 26s、  δ= 12°22′28″
    土星    α= 2h 25m 22s、  δ= 11°50′23″
    月    α= 2h 16m 59s、  δ= 11°01′12″
木星、土星の位置はドイツ暦より、月の位置は日本海軍航海暦より取る。
2天体間の距離は次の公式により導出す。
cos d= sinδ1 sinδ2 + cosδ1 cosδ2 cos(α2-α1)

1月10日-11日  この度、6インチf3.3のカメラに用いし彗星用の鏡を修正す。前のShadow test(影の試験=フーコーテスト)により、

(写真)

 図の如く 少しく中央部が落ち込み、spheroid(回転楕円体)の面であった。星を見ても甚だしく尾を引きて像が思わしくなかった。
この度は、Pitch(ピッチ)盤を全く新しき方法によって作り直す。ピッチが硬いので200gmに対して50ccのテルピン油を入れて溶かし軟らかいものを用う。爪にてたやすく跡がつく程度。1斤の重量で圧して30秒で2ミリ位の爪跡の生ずる程度と言うくらいのものである。 中央のdepression(窪み)が中々取れない。よって、中央の盤を削り取る。これにてしばらく磨くも、尚変化なし。
よって盤をそのままにして1/3のoverhang(オーバーハング)にて磨くこと少時。中央の窪みが退くと同時に、次の如き影を得。即ち、Parabola(放物面)の影である。

(写真)

 望遠鏡に取付け、木星と土星を見る。像もよくなった。視野の場所によって像が特に悪いのは、Diagonal Flat(斜鏡)がよくないためである。
1インチ(25mm)のアイピースにて土星も小さく楕円に見える、環がある為である。1インチ以上のアイピースを取付けが出来ないけれども、アイピースの差し込み筒を、第2図(b)の如くすれば高倍率のアイピースにより試験し得る。

(写真)

 Shadow testのとき0.3インチ(8mm)のアイピースによるも像は鮮明である。銀引きをなすには硝酸銀が禁製品になったので手に入り難い。25gm入りのもの戦前1.20円のもの2.00円となる。鍍金も先ず1回すれば、数年間がまんするより外方法がなくなった。
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つづいて、8インチ、10インチを修正し、新たに6インチも2個程作り上げる考えである。ピッチ盤の新しき方法が一進歩を促したことになる。
  1月17日 3日かかって8インチ鏡の修正をなす。始め1図の如くオーバーであったから、やわらかきピッチ盤を作り、盤の大きさは鏡よりも小さく、且つ中央をけずりとる。

(写真)

この盤にて相当長く磨く。次で中央の方からへりにかけて大きく切りとり少しく磨きしが、大体 縁の山を低くなし得た。終りは、Normal(普通)なる盤となし、小時間の磨きにて成功す。7インチにては、頗る像が鮮明で0.2吋(5mm)、0.3吋(8mm)のアイピースにてもよく見える。(但し Shadow testに於いて)

 1月23日 続いて10インチ鏡の修正をなす。3日間にて修正に成功、Shadow testでは0.2インチ、0.3インチにても鮮明。大方8インチに絞れば、殆んど完全に近い。尚、焦点の長い10インチ鏡あり。これも修正する考えである。

天文電報    1941年1月21日  受取
Comet Clarlnce Friend 18104 January 20108 22212 24340 84764 Wachmann Stroemgren Fukumi.

クレヤレンス フレッド 発見の新彗星は、ヴァハマン氏 次の如く観測報告す。
1941年1月18日  20時10.8分
    α= 22h 20.2m  δ= +43°40′
    光度10等、  彗星、
    中央局ストレムグレン発電、福見転送。

朝日新聞1月23日、大阪電報、広島県沼隈郡瀬戸村 黄道光観測所の本田実氏 1月21日午後8時半 彗星を発見す。その位置
1月21日    α= 22h 30m  δ= +45°  8等
これは既に フレッドにより発見せられたるものであるも、日本で独立発見。発見の外国電報が来なかったのである。

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