連載 星夜の逸品 -児玉光義-

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異色の天文学者・山崎正光(第二部) No.3 4/8
~日本人として初めて新彗星を発見し、日本に最初にガラス製反射鏡の研磨法を伝えた学者の生涯~

更新日 2023.11.2

◇昭和16年(1941年)

 1月25日、1月はずっと引き続き天気悪く、おしなべて観測に適せず。
この朝、15cm鏡に銀を引く。今迄15cm鏡には硝酸銀2gmを用いしもこの度は1gmを用う。立派に厚くつく。但し、始めはアンモニアが気抜けしておったので、2回目に銀を1gm用う。気抜けしたアンモニアを銀液に注ぐも白色を呈するのみで、黒色とならず。銀液にアンモニアをそそぎし時、黒色を呈せず唯白色に濁るときは、アンモニアがダメである。
銀を引かずしてこの15cm鏡にて土星 木星を見るに、土星はカッシニ分離、環がはっきり見える。既に述べし如く平面鏡が悪い為、所々で像がくずれる。

 1月27日 天文電報
New Comet Paraskevopulos 24029 January 08131 17134 14927 82704 22642 10257 79824 Boboae, and Dartayet Cardoba, Stroemgren, Fukumi.

新彗星 パラスケヴォポーロ 発見
    ボボーア、ダルトヤト、カルドバ 3氏 観測 次の如し。
    1月24日 8時13.1分
    α= 17h 13m 42.7s    ⊿α= +26m 42s
    δ= -49°27′04″    ⊿δ= -2°57′
    光度2等、  尾の長さ 2°位
中央局ストレムグレン発電、福見転送。

1月30日の新聞によれば、南米ブラジル、アルゼンチンに於いてでも見られた由。光度2等なれば、ちょっと注意深い人には見えた筈である。

 1月29日  全体1月になってから天気引き続き悪いので変光星観測報告も、1月2日の観測唯2個のみかと思っていた所、この夜8時頃より快晴となり、暖かく、風なく、霧なく、しかも非番であった為絶好のチャンスであって、12時迄観測す。
29個の変光星を見る。

 2月1日  この夕、15cm鏡を用いて1時間ばかり彗星を探る。この15cm鏡は大変像がよくなった。中央2度位の間は像が乱れない。修正前とは格段の差である。

 2月4日  夕方より晴れた。この日25cm鏡を鍍金せず取り付け、月、木星、土星によって試験をなす。0.3吋(8mm)、0.5吋(12.5mm)のアイピースを用いしが、気流の悪い為か土星、木星は殆ど見るに耐えず。月は相当の見ゆ。1インチ(25mm)アイピース70倍にて星像の焦点内外像は、内外ともに殆ど同じように見えるから、鏡面は悪くない。気流のよいとき試験せねば何とも言えず。
この夜、観測終わりて、1時から15cm鏡にて彗星を探る。1インチ19倍のアイピースでは像はよいも、倍率が足らないので星と星雲の区別がつかない。しし座の星々などは相当沢山の星雲あるも、1つもdistinguish(区別)することが出来なかった。2時半迄探る。気温低し、-10°位と感じた。

 2月5日  この朝、前夜の試験により15cm鏡はもっと倍率の高いアイピースを用いる方法をせなければダメなので、アイピースを付ける金具を反射になして成功。0.72インチ(18mm)のハイゲンを用いるようになした。倍率は26倍となる。視野およそ2度。この15cm鏡は元々写真用としたので、Diagonal Flat(斜鏡)が眼視には大きすぎる。相当じゃまになり中央は何だか暗い。

 2月4日  東京天文台電
本田氏より電あり、2月3日19時15分の位置、
    α= 0h 20m    δ= -30°  光度3等、
去る1月24日、アフリカにて発見のものならん。福見。
註:アフリカにて発見せし彗星は、天文電報の文によれば、日々運動は(-)であるから南に向かっておる筈であるが、電報者の換にて(1)の数字を2とすべきで、(+)即ち北へ進むとすべきものか。α= 0hで δ= -30°では当地方では見えない。

 昭和16年5月12日  午前7時57分
これは自分にとって生涯忘るることの出来ない日である。自分の最愛せる一人の娘 雅子が東京馬込病院に於いて急病にて永眠した日である。惜しみても余りある悲惨事であった。詳細は「故山崎雅子紀念 またあう日まで」という小冊子により永久に伝えることにした。神の恵、主キリストの愛 永久に雅子の霊にあらんことを祈る。

(写真)

故 山崎雅子
  大正13年11月30日  出生
  昭和16年 5月12日  永眠  行年18歳

(写真)

42年の長き年を水沢緯度観測所長として過ごされた木村栄博士は、4月30日付をもって願いにより免官となる。後任は川崎俊一博士、木村氏は生涯を緯度変化と言うことにのみ没頭した人であることは人の知る通りである。学者としては尊敬すべき人なるも、個人としては自分とは気が合わず、まことにいやな人であった。遠くから見れば人格者、近づけば化石であると自分は思っている。

5月27日、新任の服部忠彦氏技師として着任す。昭和7年東大理学部天文学科卒業。
Comet Van Gent 27118 May 23163 18019 14007 10515 20041 12863 Vandenbos Bosschi Observatory Shaply Stroemgren Sekiguti.

1941年6月7日  受付
Van Gent 氏 新彗星を発見す。Bosschi天文台にて
Vandenbosの観測次の如し
    5月27日23h16.5m
    α= 18h 1.9m    ⊿α= -5h 15m
    δ= -40°7′    ⊿δ= +(北へ)41′
    光度11等  核あり、  尾1°
ヴァンデンボス初発、中央局スロレムグレン転送。
6月17日 6月16日の夕方、25cm鏡を試験す。
1インチ(25mm)、0.5インチ(12.5mm)アイピースを用いて見るに像が乱れてよくない。そこで、平面鏡が悪い為であると思い、20cmに付きたるBrasbear平面鏡を取り付け、17日の夕方試験す。像も大変よい。1インチ アイピースにては、こと座ε星は4重星として分離しないけれども、0.5×140を用いるとはっきり分離す。こと座ε星は(5等:6等)(5等:6等)で、離角は3″および2.3″である。よりて平面鏡を完成する必要がある。15cm鏡でもその通りである。
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2月12日以来、慢性腹膜炎にて休んでおった建臣も、この頃だいぶ良くなったと心強く思っていた所、昨日あたりより又熱を出し、阿部監師の診察を受く。まだその原因を知るを得ざるも、結核の再活動によるものと思われる、誠に困った事である。何とかして早く全快させたい。雅子のこともあるし、誠に心配である。

前記の25cm鏡および15cm鏡の平面鏡を干渉線により試験するに、15cm鏡の平面鏡は左程でもないが、25cm鏡の方は余り使用に堪えない程悪い。この2つを修正する考えである。

 6月23日  2年半前に水沢区裁判所に来られし長山直樹氏は、横手正裁判所に1年余りおられしが、この度徳島県脇町正裁判所判事に転任、本日出発せらる。自分は黒沢尻から水沢までの間汽車にて見送りを得た。短きご交際にもかかわらず親密にして戴いて有り難く思っている。

故雅子紀念〔またあう日まで〕が出来て友人、学友に別つ。
A列6型と言う大きさでハガキよりやや大きい。
6号活字36字詰12行で26ページのものとなる。写真版4ページ入りで250部を作る。1冊20円の格安で印刷してもらう。

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