更新日 2024.9.27
1947年(昭和22年)3月には、明は海南中学を5年課程にて卒業す。それからは、如何にすべきか。自分としては、高等の学問をやらせなければ申し訳が無いと思うから、師範学校に入学させた。物価高で甚だ苦しいけれども、5月になって国の育英会も資金を借りることにして学校には行ける道が開けた。自分も格別売るべきものも無いが、それでも天文書がだいぶあったから、それを筍として費用のたしとなす。
1950年(昭和25年)3月に明が師範を卒業し、斗賀野の小学校へ奉職と定まった時には、実際うれしかった。
1951年(昭和26年)この年6月の始めに明が急性盲腸炎で入院した時には実に心配した。甚だしく手遅れで主治医も手術しても生命の保証が出来ないと見たのであったが、神様の御恵により快復して1ヶ月の入院から退院出来たことは奇跡的であった。
1948年から恩給が3回に渡って増額せられ生活も少々しのぎよくなったが、それでも物価が先に高くなるのでいつも苦しい生活ではあるが、日々の糧を与えられることを神に感謝している。
自分の日々の生活としては、畑に麦、甘藷(かんしょ=サツマイモ)、野菜を作ることである。
佐川へ帰っても浦島太郎の如き感がする。幼少の時の友も今は白髪の老人で、知る人としては僅かである。その中ことに親しくして居る人々は、西町の林並木先生と下山の北川○○馬氏である。林先生は金沢第四高等学校教授の時、1917年であったかアメリカに留学せられ、その時サンフランシスコで初めて御面会した。1945年に佐川のお宅でご面会して以来度々おじゃましている。
北川氏とは奇縁である。中学4年の時、話は渡米のことからはずみ、卒業後は自分が1年先に渡米、北川君も後から渡米、サンフランシスコの南のRedwoodで共に花屋を経営しようとしたが、自分はやめてその後また2年ほど北川君の所で働かせてもらったこともある。自分が佐川へ帰ってから、再び相共にかたつて○る。
健臣は、兄の家を継いで、今では二女の父で、土佐石灰大平山鉱業所に勤めている。二女恵子は佐川へ来てからそこここで働いているが、良縁がなくて可愛そうである。
1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコで対日平和会議あり、
翌52年4月、日本も7年振りに独立を取り戻す。
戦時中は生活が苦しかったし食糧問題で麦や甘藷の供出と言うこともあって、面白くもないことのみであって気抜けの態であったが、独立し食糧も高いけれどもだいぶ自由になったので、気もいささか楽になった。そこで、又望遠鏡を取り出して星に親しむべく10月になって、20cm反射鏡の取付けをなし、鏡にも銀びきをして10月30日-11月3日に仕上げる。Eyepiece(アイピース=接眼鏡)1.5インチ(焦点距離38mm)を用いると×33となり、彗星を探るによいと思っているが、星像が悪いけれど、15cmの反射鏡を使用しようかとも考えている。
1952年11月4日 記す。
銀びきの方法
反射鏡の所有者は自分にて銀びきをする必要がある。
薬品(A)還元液
ブラシヤー方法、 |
西洋角砂糖の類 |
54.5 gm |
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硝酸 |
94 cc |
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純粋アルコール |
2.5 cc |
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雨水 |
19 cc |
これを順次混合し、雨水を入れて750ccにまでふやす。この液は古くなる程よい。
20cm鏡に銀びき、鏡を上にむけて行。
始鏡のへりは西洋紙に5cmばかりの高さに糊にて貼る。糊が乾きし時パラフィンを溶かし、なるべく鏡面につかないようにしてこのパラフィンを紙に流す。高さ1cmも紙へつけば銀液の外に流れ出る心配はない。次に鏡面を脱脂綿に1、2滴ばかり硝酸をつけ、はしの先まで鏡面全体をよく拭く。そして水にてその硝酸をよく洗い流す。この場合決して指で鏡面に触れないようになす。洗えたら直ちに雨水を1センチ位の高さまで注ぐ。この場合必ずしも雨水とは限らない。井水にても可。
この時のその液の温度は、必ず摂氏25度位となし、これによって鏡面温度を25度に保たしむる為に、度々寒暖計にて測り、この温度の液を度々注いで○ん。
銀びきの秘訣は、実にこの鏡面の温度にある。
次に雨水17ccを2個のガラスコップに入れ、一方には苛性カリ半グラムを溶かす、一方のコップには、硝酸銀1グラムを溶かす。この銀液を少々別の器に取り除く。そして、この銀液にアンモニア(Aqua Ammonia)を1、2滴くらい入れると、銀液が濁る。尚、それにアンモニアを1滴1適注ぐときは晴れてくる。晴れた時、苛性カリ液を注ぐと又濁る、それにアンモニアを1滴1滴入れて混ぜると又晴れてくる。この液が晴れ始めたときは出来るだけアンモニアを控え目にして混ぜる。
全く晴れた時、始めに取り除きし銀液を1、2滴づつ注ぎ茶色になりし時止める。もし、その取り除きし銀液で茶色にならない時は、少量の硝酸銀を又溶かして注ぐ。充分茶色にならしむ、この時の液の温度は必ず鏡面温度より4-5度下でなければいけない。用意が出来たならば還元液7ccを注ぐと直に黒色になるから鏡面の水をすてて、この液を入れてゆすぶる、もしこの液が足らない時は少量の雨水を注ぎ、鏡を揺り動かす、この時少量の脱脂綿を入れて鏡面一杯に動かすと泥を吸い取ってくれて銀がきれいに付く。
銀は調子が良ければ、2分位にて良く付く。銀が全く還元してどろのみになりたる時に、その液を捨て水を流してよく水だけにて洗いへりの紙を注意して取り除き鏡をたてて表面を乾かす。4時間もすれば全く乾くからその鏡面を脱脂綿にベンガラを少量つけてごく軽く拭けば美しく磨かれる。この磨きは余り気にすることはない。銀が剥げないようにすることが何よりも大切である。
付記:前記の量は、8inch(20cm)に対するもので、6inch(15cm)は、その表面積は20cmの半分より少し多い、それで15cmには20cmの半量にて可。液の量17ccは硝酸銀1gm、苛性カリ1gm又は1/2gmの量であり、還元液7ccも銀1gmに対するものであるから、他の大小の鏡に対してはこの量の比例をとればよい。
鏡面の銀は曇りやすいけれども、60%より下がることはまずないから、度々磨いて銀を剥がすよりも、そのままで使用すれば随分長く使用に堪える。
薬品アンモニア、硝酸、苛性カリは蓋をよくしてパラフィン(ロウソクのロウでも可)を溶かしてよく封をして置く。
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