更新日 2024.10.25
◇「異色の天文学者・山崎正光」を終わるに当たり
2022年1月7日に「異色の天文学者・山崎正光」を「星夜の逸品」に掲載してから既に2年8ヶ月である。読者の皆様には、長い間お付き合いいただきありがとうございました。
今からちょうど40年前、田中真一さんと田村輝雄さんが山崎 明さん宅を訪れた時、山崎正光さんの遺品の中に、山崎さんの書かれたものとして、すばる会の機関誌「宇宙」と「天文日記 #2」、「レンズ及反射鏡」と書かれたノートの3種類があったと記憶している。しかし、私が山崎さんのことを書こうと思った平成27年(2015)には、それらの遺品は既に失われており、田中さんがコピーした「宇宙」と「天文日記 #2」が僅かに残っているだけであった。
山崎さんが「宇宙」に寄稿した“My path in Astronomy”(私の天文学経路)は、昭和49年(1974)天文ガイド別冊『彗星・その天文学と捜索者たち』に再録されているので、未発表の「天文日記 #2」を紹介するのが今回の主な趣旨だった。しかし、「天文日記 #2」は山崎さんが帰国した後の日記なので、それ以前のことが書かれた「私の天文学経路」(山崎さんはこれを天文日記 #1と考えていた節がある)も合わせて紹介したのである。
ところで、このお話は、初め山崎さんの没後60年に合わせて2019年に「星夜の逸品」に掲載する予定にしていた。ところが、2019年度に、急遽国立科学博物館の依頼で1年間プラネタリウム技術の系統化調査を行うことになった。2020年3月末に調査報告書を発行したが、コロナウィルスの感染が拡大したため、産業技術史講座が7月11日にズレ、系統化調査終了の報告会が行われたのは10月20日であった。さらに、その後も産業技術史資料の所在確認表の作成などもあり、完全に終了するまでに多くの時間を要した。そのようなわけで、もう少し「異色の天文学者・山崎正光」の解説文を書きたかったのだが、あまり長くなってもいけないのでこのあたりで幕を閉じることにした。
最後に、昨年亡くなられた義之栄光さんから、平成30年(2018)12月にいただいた手紙を紹介する。
昭和18年(1943)の
「秋口なって、突然五藤光学から荷物が届きました。あけてみると、中から径15cm、厚さ.5cm程の凹面鏡と、短径3cm長径4.5cm程の周辺を45°位にすり落とした斜鏡が出てきた。添書に、「これ、もと水沢緯度観測所に居た山崎正光氏の作品です。鏡の裏面に作者のサインと製作No.がガラス切りで彫ってあります。マウンチングは、自分でして、天文観測用に使ってください。浅虫で掘り出した厚板硝子は何とか加工して海軍へ納入できました。云々。」とありました。それで、早速ニュートン式の鏡筒を作り、鉄工所に依頼した鉄管3本を溶接した3脚に取り付け、早速夜空に向けました。手引は、山崎氏著の天体望遠鏡の作り方と観測法、村上忠敬著 全天星図の2冊でした。」
さらに、翌2019年1月にいただいた葉書に、「山崎鏡のNo.は記憶があいまいですが「146」か「164」だったようです。」とありました。
この山崎鏡は、時期的に言って山崎さんが五藤光学にいた時分に製作されたものと考えられます。もし現存すれば、山崎さんの現存する最後に研磨した反射鏡ということになります。しかし、義之栄光さんの平成21年(2009)4月24日の手紙につぎのようにあります。
「先生(五藤齊三)から頂戴した山崎正光氏作の15cm凹面鏡と斜鏡も留守宅に置いた侭、青森空襲で烏有になってしまいました。(よく琴座のリングネビュラ、遊星、M31、M42……など見ました。)」
次回もお楽しみに。